「これは何だ?」
三国一キレやすい軍師が言った。
その声は氷点下の外の方が暖かいんじゃないんだろうかという感じだった。
「チョコレートです」
司馬懿唯一の護衛武将が答えた。
なるほど、司馬懿の書卓の上にはチョコレートが置かれていた。
板チョコレートが。
ラッピングもしていない。
スーパーで特売していたから買ってきた、という風情だった。
「今日はバレンタインデーなので、日ごろお世話になっている司馬懿様に義理チョコです♪」
はにこやかに言った。
「もう少し、色気のあるものが選べないのか!」
司馬懿は書卓を叩いた。
振動で板チョコレートが跳ねる。
「だって司馬懿様、こんなに美味しそうなチョコレートを貰っているじゃないですか」
とは床に積み上げられているチョコレートを指す。
綺麗にラッピングされたチョコレートや高級チョコレート店の紙袋入りのチョコレートがあった。
さすがに板チョコレートはなかった。
義理でもそれなりの体裁を整えられている。
勿論、本命チョコもあるだろう。
十把一絡げだ。
「ところで司馬懿様は、これ全部一人で食べるんですか?」
大きな目くりくりとして少女は尋ねた。
興味津々というのがよくわかる。
「甘いものは好まない」
司馬懿は言った。
ようするに食べないということだ。
「捨てちゃうんですか?」
はチョコレートの山からひとつ取り上げる。
「手作りチョコレートもあるのに。
気持ちだけでも受け取ってあげないんですか?」
「何が入っているか分からない物は口にしない主義だ」
おまじないと称して自分の髪の毛や爪や血液を入れるという輩がいる。
危険すぎて食べられない。
「じゃあ、板チョコレートで正解ですね♪
未開封だってわかるし、義理だってわかりやすいですよね!」
は持っていたチョコレートを山に戻す。
「どうしてそうなる!」
「司馬懿様、矛盾していますよ。
まるで私から手作りチョコレートが欲しかったように聞こえます」
は司馬懿を見た。
司馬懿は目を逸らした。
その先には打碁の役に立たない水色のおはじきがあった。
部屋を沈黙が漂う。
重く長い沈黙だった。
天然……もとい鈍感な少女でなければ、泣き出して部屋から逃げ出してしまうほどの沈黙だった。
は小首をかしげて思案顔。
それからポンと合いの手を打った。
「わかりました!
義理チョコでももっと気合が入ってないとダメですよね!
甄姫様に何か教えてもらってきます!」
は書卓から板チョコレートを手に取ると、お辞儀をした。
それから2時間後。
小さな皿を抱えた少女が司馬懿の書斎に入ってきた。
「司馬懿様。ハッピーバレンタインです♪」
書卓の上に小皿を置く。
「味見をしたので、味の方は大丈夫ですよ!
甄姫様お墨付きです」
小皿の上にはトリュフが2個。
「板チョコレートから、これしかできないのか?」
「まさか!
形の良いものを選んできたんですよ。
残りは妙才様、文遠様、儁艾様と殿にも贈ってきました。
司馬懿様のは特別です!」
「ふん、馬鹿め」
司馬懿は言った。
「お茶、淹れてきますね」
少女は小走りで部屋を出ていった。
お茶と共にトリュフを食べた司馬懿の顔色は、いつもより2割増しに良かった。
その日、一日機嫌が良かった軍師に、周囲は気味悪がったり、面白がったりしたのだった。