司馬懿の護衛武将・は、上機嫌に回廊を渡っていた。
底抜けに明るい少女が朝から不機嫌なのは、真夏に氷が降るぐらい珍しいことだから、平常どおりと言える。
上官の司馬懿が年がら年中不機嫌なことを考えると、足して二で割ったらちょうど良くなるかも……? と考えるのは早計だ。
底抜けに明るいのと常に不機嫌の間は、無感動だ。
だから、それぞれの個性を発揮してもらったほうが、世のため人のためだったりする。
というわけで、はスキップでもしかねない勢いで、回廊を渡るのだ。
考えていることは、単純だ。
なにせ、今日は4月1日。
エイプリルフールなのだ。
本日限りの無礼講。
道化師が王様になれる日。
嘘をついても良い日だった。
どんな嘘をつこうかなぁ。
司馬懿様、信じちゃうような、大きな嘘をついてみせます!
だって『えいぷりるふーる』だから、怒らな……。
司馬懿様だったら、怒りそう。
「よくも、私をたばかってくれたな。骨の髄まで後悔させてやろう」とか、何とか。
大人げなくキレたりしそう。
でも、せっかくのお祭り騒ぎだし。
やらなきゃ損!
うーん、どんな嘘にしよう。
嘘をつく日だから、司馬懿様だって身構えてるよね。
簡単な嘘には引っかからないだろうし……。
少女の足がぴたりと止まる。
大きな目がさらに見開かれる。
目に映る光景が幻ではないことを知って、は駆け出した。
「司馬懿様、誰ですか、その人!」
朝の挨拶抜きに、少女は叫んだ。
見たことがない妙齢の女性が司馬懿の隣に立っていたのだ。
背が高く、女性らしい曲線の持ち主は、容貌も華やかで美しかった。
『大人の女性』というオーラが全身から漂っている。
お仕着せの女官服をまとっていたならば、も驚かなかっただろう。
先代曹操の趣味なのか、あるいは甄姫の趣味なのか、曹魏の城には美人の女官が多かった。
司馬懿の隣にいて、ニコニコ笑顔の女性は、護衛武将の制服を身にまとっていたのだ。動きやすいそれは、剣の使い手が好むもの。
「護衛武将だ」
不機嫌さを隠しもせず、司馬懿は言った。
「どうしてですか!?」
「どうしても何も、新しく仕官してきた護衛武将のだ」
「よろしくお願いします」
は、これまた美しい声音で言う。
何だって護衛武将をしてるんだ、舞姫にでもなったらどうだ。と言いたくなるような麗人だった。
「本日、4月1日付けで……」
「『えいぷりるふーる』だからって、そんな嘘をつくんですか?」
司馬懿の言葉をさえぎって、は言った。
少女にしては珍しく、不機嫌だった。
私。クビになっちゃうんだ。
そりゃあ、新しいほうが良いよね。
しかも、さん美人だし。
私は……もういらないんだ。
そりゃあ、役立たずだったかもしれないけど……。
有能な護衛武将が良いに決まってる。
陰玉持ちの護衛武将なんて……、やっぱり氷玉のほうが良かったのかな。
そしたら司馬懿様とお揃いになったよね。
でも、陰玉の色合いが、司馬懿様っぽいんだもん。
私って馬鹿すぎる……って、馬鹿だから解雇されるんだぁ〜!
司馬懿様、馬鹿が嫌いだもん。
「嘘ではない。
今日は年度始めだ。
愚か者たちと違って、嘘をつく暇はないわ」
「そうなんですか……。
よろしくお願いします」
ペコリとは、に頭を下げた。
「退がれ。用件はそれだけだ」
「かしこまりました」
司馬懿の言葉に、はうなずき、一礼をしてからその場を離れていった。
とても主従らしい空気に、は感心した。
「どうした?」
「へっ?」
「朝食に嫌なものでも出されたのか?」
「今日の朝ごはんは、肉団子と根菜のスープとお粥で、とっても美味しかったです。
……で、何で朝ごはんのことを訊くんですか? 司馬懿様」
は目を瞬かせる。
「お前が不機嫌になる理由は、食べ物関係か、金銭、あるいは損得ぐらいだ」
司馬懿は歩き出す。
少女は習慣的にその後ろをついていく。
「どうして不機嫌だと思ったんですか?」
「違うのか?」
「不機嫌でしたけど」
は正直に答える。
司馬懿はそれに機嫌良く笑む。
「朝の挨拶をしなかっただろうが」
そんなところで、バレちゃうんだ。
私って単純なのかな。
そりゃあ司馬懿様ほど複雑なつくりじゃないけど……。
朝の挨拶したほうが良いのかなぁ。
うーん。でも、今更だよねぇ。
まあ、したからって、何か減るわけじゃないし。
「おはようございます、司馬懿様!」
はいつものように言った。
青年は目を細めて、うなずいた。
「それで、あの……。
さん、綺麗でしたよね」
「護衛武将に容貌は関係ないだろう。
重要なのはその中身だ」
果たして使い物になるかどうか、と司馬懿はつけたす。
「そうですけど。
えーっと、もしかして、司馬懿様。
さんのこと、好きじゃないんですか?」
「……護衛武将に、好きだの、嫌いだの感じることはない。
役に立つか、立たないか。それだけだろう。
お前たちは盾なのだからな」
「でも、私よりもお役に立ちそうですよ。
頭良さそうだし。
ほら、頭は重要じゃないですか?
機転が利かない護衛武将って、役には……。
スミマセン、役立たずで」
「何の話をしている。
……なるほど、そういうことか。
あれは、殿の新しい護衛武将だ」
「え、殿の!
じゃあ、魚ちゃん先輩はクビなんですか!?」
「一人の武将に用途に合わせて、4、5人の護衛武将がつくことは珍しくもない。
最前線で戦う武将ならば、補充要員も含めて、もっと多いだろうに。
そういう話は、仲間同士でしないのか?」
「……初めて聞きました」
私、のけ者にされてるのかも。
そんな話、聞いたことがない。
けど、考えてみれば、そうだよね。
ローテーションとかしないと、お休みとか取れなくなっちゃう。
毎日が戦場の武将さんとかの護衛武将だと、ケガしたときとかのお休みってあるだろし。
一人っきりだと、そういうとき困るよね。
「あれ?
司馬懿様の護衛武将って、私だけですよね。
増やさないんですか?」
「何故だか、長く勤まる者がいない」
司馬懿は言った。
「不思議ですね」
暢気に少女は言った。
それに青年は微苦笑した。