4月1日 06年版


 司馬懿の護衛武将・は、上機嫌に回廊を渡っていた。
 底抜けに明るい少女が朝から不機嫌なのは、真夏に氷が降るぐらい珍しいことだから、平常どおりと言える。
 上官の司馬懿が年がら年中不機嫌なことを考えると、足して二で割ったらちょうど良くなるかも……? と考えるのは早計だ。
 底抜けに明るいのと常に不機嫌の間は、無感動だ。
 だから、それぞれの個性を発揮してもらったほうが、世のため人のためだったりする。
 というわけで、はスキップでもしかねない勢いで、回廊を渡るのだ。
 考えていることは、単純だ。
 なにせ、今日は4月1日。
 エイプリルフールなのだ。
 本日限りの無礼講。
 道化師が王様になれる日。
 嘘をついても良い日だった。


 どんな嘘をつこうかなぁ。
 司馬懿様、信じちゃうような、大きな嘘をついてみせます!
 だって『えいぷりるふーる』だから、怒らな……。
 司馬懿様だったら、怒りそう。
 「よくも、私をたばかってくれたな。骨の髄まで後悔させてやろう」とか、何とか。
 大人げなくキレたりしそう。
 でも、せっかくのお祭り騒ぎだし。
 やらなきゃ損!
 うーん、どんな嘘にしよう。
 嘘をつく日だから、司馬懿様だって身構えてるよね。
 簡単な嘘には引っかからないだろうし……。


 少女の足がぴたりと止まる。
 大きな目がさらに見開かれる。
 目に映る光景が幻ではないことを知って、は駆け出した。
「司馬懿様、誰ですか、その人!」
 朝の挨拶抜きに、少女は叫んだ。
 見たことがない妙齢の女性が司馬懿の隣に立っていたのだ。
 背が高く、女性らしい曲線の持ち主は、容貌も華やかで美しかった。
 『大人の女性』というオーラが全身から漂っている。
 お仕着せの女官服をまとっていたならば、も驚かなかっただろう。
 先代曹操の趣味なのか、あるいは甄姫の趣味なのか、曹魏の城には美人の女官が多かった。
 司馬懿の隣にいて、ニコニコ笑顔の女性は、護衛武将の制服を身にまとっていたのだ。動きやすいそれは、剣の使い手が好むもの。
「護衛武将だ」
 不機嫌さを隠しもせず、司馬懿は言った。
「どうしてですか!?」
「どうしても何も、新しく仕官してきた護衛武将のだ」
「よろしくお願いします」
 は、これまた美しい声音で言う。
 何だって護衛武将をしてるんだ、舞姫にでもなったらどうだ。と言いたくなるような麗人だった。
「本日、4月1日付けで……」
「『えいぷりるふーる』だからって、そんな嘘をつくんですか?」
 司馬懿の言葉をさえぎって、は言った。
 少女にしては珍しく、不機嫌だった。


 私。クビになっちゃうんだ。
 そりゃあ、新しいほうが良いよね。
 しかも、さん美人だし。
 私は……もういらないんだ。
 そりゃあ、役立たずだったかもしれないけど……。
 有能な護衛武将が良いに決まってる。
 陰玉持ちの護衛武将なんて……、やっぱり氷玉のほうが良かったのかな。
 そしたら司馬懿様とお揃いになったよね。
 でも、陰玉の色合いが、司馬懿様っぽいんだもん。
 私って馬鹿すぎる……って、馬鹿だから解雇されるんだぁ〜!
 司馬懿様、馬鹿が嫌いだもん。


「嘘ではない。
 今日は年度始めだ。
 愚か者たちと違って、嘘をつく暇はないわ」
「そうなんですか……。
 よろしくお願いします」
 ペコリとは、に頭を下げた。
「退がれ。用件はそれだけだ」
「かしこまりました」
 司馬懿の言葉に、はうなずき、一礼をしてからその場を離れていった。
 とても主従らしい空気に、は感心した。
「どうした?」
「へっ?」
「朝食に嫌なものでも出されたのか?」
「今日の朝ごはんは、肉団子と根菜のスープとお粥で、とっても美味しかったです。
 ……で、何で朝ごはんのことを訊くんですか? 司馬懿様」
 は目を瞬かせる。
「お前が不機嫌になる理由は、食べ物関係か、金銭、あるいは損得ぐらいだ」
 司馬懿は歩き出す。
 少女は習慣的にその後ろをついていく。
「どうして不機嫌だと思ったんですか?」
「違うのか?」
「不機嫌でしたけど」
 は正直に答える。
 司馬懿はそれに機嫌良く笑む。
「朝の挨拶をしなかっただろうが」


 そんなところで、バレちゃうんだ。
 私って単純なのかな。
 そりゃあ司馬懿様ほど複雑なつくりじゃないけど……。
 朝の挨拶したほうが良いのかなぁ。
 うーん。でも、今更だよねぇ。
 まあ、したからって、何か減るわけじゃないし。


「おはようございます、司馬懿様!」
 はいつものように言った。
 青年は目を細めて、うなずいた。
「それで、あの……。
 さん、綺麗でしたよね」
「護衛武将に容貌は関係ないだろう。
 重要なのはその中身だ」
 果たして使い物になるかどうか、と司馬懿はつけたす。
「そうですけど。
 えーっと、もしかして、司馬懿様。
 さんのこと、好きじゃないんですか?」
「……護衛武将に、好きだの、嫌いだの感じることはない。
 役に立つか、立たないか。それだけだろう。
 お前たちは盾なのだからな」
「でも、私よりもお役に立ちそうですよ。
 頭良さそうだし。
 ほら、頭は重要じゃないですか?
 機転が利かない護衛武将って、役には……。
 スミマセン、役立たずで」
「何の話をしている。
 ……なるほど、そういうことか。
 あれは、殿の新しい護衛武将だ」
「え、殿の!
 じゃあ、魚ちゃん先輩はクビなんですか!?」
「一人の武将に用途に合わせて、4、5人の護衛武将がつくことは珍しくもない。
 最前線で戦う武将ならば、補充要員も含めて、もっと多いだろうに。
 そういう話は、仲間同士でしないのか?」
「……初めて聞きました」


 私、のけ者にされてるのかも。
 そんな話、聞いたことがない。
 けど、考えてみれば、そうだよね。
 ローテーションとかしないと、お休みとか取れなくなっちゃう。
 毎日が戦場の武将さんとかの護衛武将だと、ケガしたときとかのお休みってあるだろし。
 一人っきりだと、そういうとき困るよね。


「あれ?
 司馬懿様の護衛武将って、私だけですよね。
 増やさないんですか?」
「何故だか、長く勤まる者がいない」
 司馬懿は言った。
「不思議ですね」
 暢気に少女は言った。
 それに青年は微苦笑した。

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