刻々と昼が夜に侵食されていく。
太陽が、生まれ変わる。
そんな直前の日。
小柄な少女は、失われていく光を求めて庭先にいた。
冷たい風越しに、遠い光。
黄金ではない。
ややくすんだ色の太陽。
それは少女にとって、かけがえのない人の瞳の色だった。
は、遠くて、寂しそうな太陽が好きだった。
真冬の夜を溶かして、大地を暖める太陽が大好きだった。
だから、初めて恋した人の瞳の色だと、太陽を見て思うのだった。
少女は細い枯れ木で、地面に文字を書いていた。
間違えたのか、所々地面はえぐれていた。
「うーん。
やっぱり、わかんないやぁ」
は呟いた。
本人しゃべってないつもりなのだが、きっちり声に出ていた。
「あと、何だろう?」
少女は木の棒で地面を叩く。
目の前には
高笑い
紫色
黒羽扇
仕事
甘くないもの
金木犀?
という文字が並んでいた。
勘の良い人間なら、この連想ゲームすぐに解けるだろう。
は書き足す。
おかゆ
お茶
「うーん。
意外に司馬懿様の好きなものって、わかってないんだぁー。
けっこう一緒にいるんだけど。
司馬懿様って、これが好きとか言わないし。
嫌いなものなら、もうちょっとわかるんだけどなー。
……うわぁ、ショックぅ〜」
はぶつくさ言う。
「風邪を引く気か?
馬鹿め」
低い声と共に、衣が降ってきた。
煌びやかな金糸の縫い取りのある珊瑚色の衣に見覚えがあった。
この冬、欲しくもないのに新調された服の中のひとつだった。
「あれ? 司馬懿様」
「ずいぶんと、日が落ちてきた。
そろそろ中に入ったら、どうだ?」
不機嫌に青年は言った。
「司馬懿様、仕事はいいんですか?
もう、終わりですか?」
いつもよりも早い帰宅に、少女は目をしばたかせる。
「まるで帰ってきて欲しくなさそうな言い草だな」
「いや、そんなつもりはありません!!
ちょっとビックリしてるだけです!
じゃあ、今日は、これから一緒にいられるんですね」
は無邪気に笑った。
「そういうことになるな」
心なしか機嫌が良くなったことに、少女は気づかない。
「それで、何をしていたのだ?」
「へ?
あ、これですか。
司馬懿様の好きなものリストを作っていたんです」
「ほお。
一番最初が、高笑いか」
「違うんですか?
だって、よくしていますよね!
てっきり好きなのかと思っていました。
じゃあ、ダメですねー」
は「高笑い」の上にバッテンを引く。
「もうすぐ『くりすます』だから、司馬懿様の好きなものを用意しようと思ってたのに」
「高笑いをどうやって、贈るつもりだったのだ?」
「これは、リストですよー。
嫌だなぁ。
『高笑い』なんて、どうやってあげればいいんですか?
これ以上思いつかないから、司馬懿様書いてください」
は司馬懿に木の棒を差し出す。
「本人に書かせるのか?」
「だって、司馬懿様が書いたら、間違いがないじゃないですか!」
さも名案だと言わんばかりに、少女は言った。
ほんの数秒の間の後、司馬懿は一つだけ地面に書きつけた。
「」
不安定な少女の文字の後に、きっちりとした文字が書かれた。
きょとんと黒い瞳は、青年を見上げる。
「私は、物じゃないからあげられませんよ〜」
「好きなものリストなのだろう?」
だから、好きなものを書いただけだ、と司馬懿は言った。
たっぷりとした後
「だ、で、えー!
し、し、司馬懿様、私のこと、す、す……好きなんですか!?」
「嫌いな人間を屋敷に置くほど、心は広くはないが?」
「…………信じられません」
「その言葉をお前が言うのか。
私の言葉は、信じろ」
「だって……だって」
「護衛武将の頃は、もっと聞き訳が良かったな」
「そりゃあ、お給料のうちでしたから!
逆らって、クビにされたら仕送り困っちゃいます」
キッパリとは言った。
「今は、給料がもらえないから、逆らうと……」
「だって、司馬懿様が、私のこと…………好、す、すきだなんて。
私、どうしたら良いんですか!?」
今更なことを少女は言った。
「光栄に思え」
「もう、思ってます!」
「自慢でもして来い」
「命令されなくても、します!」
「後は、私の望みを叶えてくれれば良い」
「言われなくても、いつも願ってます。
私に出来ることがあるなら、何でもしたいって。
ずっと、思ってます」
は言った。
「物よりも、そちらの方が良い」
「くりすますなのに、プレゼントはいらないんですか?
せっかく、物がタダでもらえるのに!」
「そういうお前は何が欲しいのだ?」
「へ?
私ですか?」
えー、何だろう。
何が良いかなぁ。
欲しい物って、突然訊かれても。
なかなかパッと出てこないしぃー。
うーんと、一つだけなら……。
やがて少女は口を開いた。
「司馬懿様の笑顔です」
嬉しそうに笑う。
「馬鹿め。
それでは、贈り物にならないだろうが」
「司馬懿様が嬉しそうだと、私も嬉しくなるんです!」
それから数日後。
青年は、調整して丸一日休みを得た。
屋敷で少女と共に過ごす。
それが贈り物だった。
少女は、お礼に可愛らしいくちづけを贈った。
どっちが得したかは、当事者にしかわからなかった。