「司馬懿様〜、今日は何の日か知ってますか!」
のっけからテンションが高い護衛武将・。
司馬懿は迷惑そうに、目を開けた。
現在……朝の4時。
夜明け前である。
「夜這いか?」
不機嫌そうに司馬懿は上体を起こした。
低血圧な軍師殿は、朝にめっぽう弱い。
「?」
大きなクリッとした瞳は理解できないものを見るように、きょとんと上官を見上げるのだった。
「司馬懿様、もう朝ですよ。
鶏も鳴きました」
はニコッと答える。
「まだ、夜が明けきってないではないか。
馬鹿な雄鶏は、宵でも鳴く」
司馬懿は寝なおそうとして、布団にもぐりこむ。
「えぇ〜。
寝ちゃうんですか!
せっかく、来たのにぃ〜」
は不満げに唇をとがらせる。
「朝ですよ。もう、起きましょう。
気持ちの良い日ですよ。
朝陽を、一緒に見ましょうよ〜。
すっごい、気持ち良いですよ〜。
朝の生まれたての空気って、ひんやりとしていて、綺麗なんですよ」
はゆさゆさと司馬懿の体をゆする。
繰り返して言うが、現在朝の4時。
司馬懿は低血圧である。
しかも、昨日は残業があったので、やや睡眠不足ぎみ。
その上、彼は三国一切れやすい軍師である。
以下の条件から、次の展開を求めよ。
答え……。
「この馬鹿めっ!」
司馬懿はガバッと起き上がると、怒鳴った。
しかし、ご自慢の黒羽扇は手近にはなかった。
紫色の光線は、飛んでこなかった。
は目を瞬かせ、それからニコッと笑う。
その手には、黒羽扇があった。
「やっぱり、これがないとダメなんですね」
弱みを握ったとき、人間はこんな表情をするのだろう。
にひゃっとは笑う。
「何が目的だ?」
司馬懿は尋ねた。
「今日は何の日か知ってますか?」
キラキラと期待に輝く瞳を向ける。
「4月1日か」
「はい。
どんな嘘をついても良い日なんです!」
は元気良く言った。
「そうか。
だが、それを今ここで言ってしまったら意味がないのではないか?」
いまいち己の護衛武将が考えていることがわからない司馬懿は怪訝な表情を浮かべた。
「今日は、嘘をつきます!」
は宣言した。
「馬鹿だな」
嘘をつく前に、これから嘘をつくと宣言してどうするのだ。
相手に教えてしまったら、嘘が嘘と成立しなくなる。
司馬懿は呆れたようにを見た。
「今日は一つだけ、嘘をつきます。
司馬懿様、それがなんだか当ててください」
「くだらぬ」
「わかったら、豪華景品を差し上げます!」
「護衛武将の安い俸給では、高が知れているな」
「そんなこと言っちゃって、絶対後悔しますよ」
「では景品の中身を訊こうか?」
「私です!」
は自慢げに言った。
「ずいぶんと、粗悪な景品だな。
私は寝る。
あと1刻(2時間)したら起こせ」
司馬懿はそう言うと、布団にもぐりなおした。
「ちゃんと、覚えていてくださいね。
嘘をつくのは、一つだけですよ。
それに、もう始まってますからね」
は司馬懿に言った。
返事は返ってこなかった。
諦めて、は司馬懿の寝室をあとにした。
「馬鹿め」
司馬懿は、いつもよりも血色の良い顔で、まんざらでもない顔をしてつぶやいた。
さてさて。
そんなこんなで始まった4月1日。
魏の本拠地でも、他愛のない嘘から深刻な嘘まで取り揃えて、あふれかえっていた。
他愛のない嘘は良い。
今日は4月2日だ。
明日は雨だ。
許チョがダイエットを始めた。
などなど。
だが、それらに混じって、
お前はクビだ。
別れてください。
能無しは、捨て駒にもならぬ、死ね。
などなど。
立場がある人間がやるとシャレにならない嘘もかなり飛び交っていた。
お祭り騒ぎに乗じて、首尾よく恋人を見つける者も多数。
例年なら、鼻で笑って済ましていた司馬懿だが、今年はなし崩し的に巻き込まれていた。
いったい、どれが嘘なのか見極めなければならない。
一つだけ嘘をつくといったのだ。
まるで監視でもするかのように司馬懿は、を見ていた。
が、しかし。
嘘をついているようには見えなかった。
いつも通りに、ドジで間抜けな護衛武将は過ごしている。
どれが嘘だと言うのだ。
仮に「一つ」嘘をつくと言うのが、すでに嘘で。
今日話すことは、全部嘘である。
という可能性もある。
今日のは、ご機嫌で愛想が良かった。
要所要所で司馬懿が喜びそうなことを言うのだ。
これらが全部嘘だとしたら……、人間不信になりそうだった。
1日が終わろうとする時間。
「司馬懿様〜!
もうすぐ、今日も終わりですね」
勝手に司馬懿の部屋に入ってきて、は言った。
「お茶淹れました。
新しいお茶っぱなんです。
美味しいですか?」
は書卓に茶碗を置いた。
「飲む前から、わかるか」
司馬懿はのー天気な部下を見遣る。
一口、その茶を飲む。
「まあまあだな」
司馬懿は言った。
は嬉しそうに笑った。
「どれが嘘だか、わかりましたか?」
「そのゲームをやると同意した覚えはない」
司馬懿は書き終わった竹簡を端から巻いていく。
今日はこの辺りで区切らなければ、朝まで仕事をしていることになる。
「ええ〜!
酷いですぅ。
それじゃあ、私一人が馬鹿みたいじゃないですか」
は唇をとがらせる。
「もとより、馬鹿であろう」
司馬懿は言い切った。
「たとえ、それが本当だとしても……。
酷いです」
「安心しろ。
本当で、酷いのは、事実だ」
「どうして、司馬懿様に仕えてるんでしょうか?
他のトコの方が条件良さそうです。
ここを辞めて、文遠様に雇ってもらおうかな?」
はいじいじと盆をいじる。
「そんなこと言うために、茶を淹れたのか?」
「でも、司馬懿様から離れられないなんて。
呪いみたいですよね。
ああ、呪われちゃったんだ〜。
あの黒羽扇がいけないんだ」
意味不明なことをはぼやく。
「で、どれが嘘だと思いますか?」
めげるという言葉を知らない少女である。
は尋ねた。
司馬懿は沈黙を保つ。
「景品が貧相だから、やる気が出なかったんですか?
やっぱり。
甄姫様の下着とかじゃないと、やる気になれませんか?」
「それは、どんな基準だ!?」
司馬懿は、つい突っ込みを入れてしまった。
「あるいは、隠し撮り写真とか」
「そんなものはいらぬ」
「じゃあ、殿のおはじきとか」
「ますます、いらぬっ!」
「えー、レアなのに」
はふくれっ面になる。
「あ!
もしかして、嘘がわからなかったんですか?」
コロコロ表情の変わる少女である。
「わかるわけなかろう。
嘘など、一つもなかったのだからな」
司馬懿は呆れながら言った。
一つ嘘をつく。
と言うことが嘘だったのだ。
本当に「一つ」の嘘だった。
の顔はパッと輝いた。
「大正解♪」
真に人が喜んだときに浮かべる笑顔とは、このことだろう。
は満面の笑みを浮かべた。
「嘘を見破られて喜ぶなど……、馬鹿め」
司馬懿は不機嫌そうに言った。
「では、景品の進呈です〜。
何でも言うことききますよ」
はニコニコと言った。
「それでは普段と変わらないではないか」
司馬懿は硯をしまうと、立ち上がる。
の手にしていた盆に、空になった茶碗を載せる。
「無理難題も引き受けます」
は胸を張って答える。
「……夜伽もか?」
「え!」
はズサッと後ずさる。
それがあまりに勢いが良かったものだから、あやうく茶碗が床と仲良しこよしになるところだった。
「冗談だ」
司馬懿は喉をクツクツ鳴らす。
「あとでゆっくり考える。
楽しみにしていろ」
「からかいましたね!」
「今日は、どんな嘘をついても良い日なのだろう?」
「まあ、そうですけどぉ。
あんまり、笑えません」
は文句を垂れた。