手を伸ばす

 炎天の中、男は佇んでいた。
 熱風が汗を誘う。
 涼とは正反対だった。
 男は睨むように、蒼穹を見ていた。
 まるで曹魏の旗のように鮮やかな青だった。
 司馬懿は羽扇を握りしめる。
 誰も彼も司馬懿を置いていく。
 過ぎ去った季節を思い、奥歯を噛みしめる。
 動乱は未だ収まらない。
 天から下された天子は落ち着かない。
 司馬懿が喉から欲したものは与えられない。
 自分の手でつかまなければいけないのだろうか。
 誰かの下で悠々と書の紐を解く。
 そんな時間は与えられないのか。
 いまはいない教え子を思い出す。
 王道を歩くと思っていた。そんな青年を。
 時は通り過ぎる。
 運命は司馬懿に酷な決断をさせる。
 季節はひとつ移り変わろうとしていた。
 熱すぎる夏は終わろうとしていた。
 もう二度と曹魏のような青い空を見上げることはないだろう。
 それよりも淡く薄い青の旗が翻るのは近い未来だろう。
 司馬懿は炎天から離れて陰に隠れた。
 全ては夏が見せた終わりある幻だ。
 天をつかむ準備はできた。
 今度こそ、最も欲しかった民たちが笑う世を作る。
 自分自身の手で。
 もう他の誰かに期待することはない。
 そんな夢のような淡い願いはしない。

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