世界は美しい

 幾度目の季節の巡りだっただろうか。
 太陽が隠されてから、再び姿を現した。
 その日から、曹叡にとっては忘れられない日になった。
 艶やかな母だった。
 優しい母だった。
 二度と姿を見られない母だった。
「世界は美しいな」
 唐突に父が言った。
 曹魏のような青空を仰いでいたから、その表情は分からない。
 いつでも父は冷徹だった。
 その瞳を見ていられなくて、曹叡は己の影を見つめることが常だった。
「私にはそう思えません」
 曹叡は父の機嫌を損ねないように、静かに呟くように言った。
「だから、お前は阿叡なのだ」
 この天を戴く天子がバッサリと切り捨てるように言う。
 また父が望む言葉を紡げなかった己に落胆する。
 蒼炎の瞳が曹叡を見つめた。
「優しさは時に、人を傷つける。
 大切なものを失っても、なお『世界は美しい』と言えなければ、お前に玉座は譲れない」
 はっきりと父は言った。
「申し訳ございません」
 父の長子として生まれても、玉座を埋めることは適わない。
 そんな自分の弱さに俯く。
「甄が私に遺してくれた子だ。
 私の分だけ涙を流すと良い」
 父が曹叡の母親譲りの黒髪を撫でた。
 曹叡は顔を上げた。
「まだ時間はある。強くなれ」
 父は痛々しいものを見るように、曹叡を見つめた。
「はい」
 曹叡は頷いた。
 季節は巡る。
 艶やかな母だった。
 優しい母だった。
 父にとって無二の妻だった。
 そして、曹叡にとって唯一の母だった。
 この日が来るたびに思い出すだろう。
 そして、涙を飲みこむだろう。
 人間であることを辞めさせられた父のために。
 いつの日か、玉座を埋められるように。
 曹叡は強くなろうと胸に誓う。
 母を喪っても、妹を喪っても、父を喪っても、『世界は美しい』と言えるように。

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