いつも通り


「司馬懿様、司馬懿様〜」
 耳障りなほど高い声が呼ぶ。
 空まで届けと言わんばかりの大きな声だった。
 そんなに声を張り上げなくても、届くというのに。
 は跳ねるような足取りで、石畳を踏む。
 弓を引くときに邪魔にならないように結われている髪が、それに合わせて揺れた。
「見てくださーい」
 小さな背で、細い腕で、小さな手のひらで。
 指し示すのは空だった。
 司馬懿はためいきをつく。
 代わり映えのない、いつも通りの空が広がっていた。
「青空です!」
 少女は立ち止まり、振り返った。
 護衛武将の顔には嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。
 くっきりと晴れ上がった空と同じように、曇りがない笑顔だった。
「くだらない」
 司馬懿は言った。
 小走りに先を歩いていた少女と並び、そして追い越す。
 能天気な護衛武将に付き合っていたら、日が暮れても目的地に辿りつかない。
「綺麗な青だと思いませんか?」
 高い声と一緒に、軽い足音がついてくる。
「いつもと同じだろうが」
 司馬懿は皮肉る。
「はい。いつもと同じで綺麗な青空です!」
 は大真面目に言う。
 いつもと同じなら、わざわざ口に出す必要はないだろう。
 頭に物が入っていないのか。
 と、司馬懿は護衛武将の顔を見た。
 黒い大きな瞳はきらきらと輝いていた。

「曹魏と同じで、いつも通りの綺麗な青です」

 この世の真理を告げるように。
 真昼の太陽のように。
 明るい護衛武将は、気負いなく言った。
 青年は少女の視線から逃れるように空を仰ぐ。
 ただの青い空があった。
 それは漠然としてつかみどころがなく。
 それは泰然として在るだけだ。
 天とはそのもので、そこに意志があるとしたら、その存在だけで十全。
 不変な世界で、変わらず在り続ける。
「同じか」
 変わらないでいることが。
 曹魏が、空と同じであることが。
 この地のどこにも逃げ場がないという意味であり。
 この地のどこにいっても拠り所があるという意味でもある。
「司馬懿様が守っている、曹魏と同じ色ですよ!」
 は言った。
「守ってなどいない」
 青年は訂正する。
 こんな大きなものを守る方法など、あるはずがない。
「同じですよ」
 護衛武将は言った。
 どんな思いを託すというのだろうか。
 思い付きで喋っているのだとしたら上出来すぎる。
「司馬懿様は、こんな綺麗なものを守っているんです」
 ちょっとすごいと思いませんか? と、は楽しそうに言った。
 違うとも。
 そうだとも。
 答えられずに司馬懿は空を見上げ続ける。

 青い空だった。
 曹魏の旗は、この空の色で染められているのでは。と、ありもしないことを思いつくほど。
 青い、青い空だった。


短文に戻る