悲しかった

「私、一つ決めていることがあるの」
 緑の瞳は遠い空を見ていた。
 空の先に何かあるのか。
 釣られて見上げるほどに、その眼差しは美しかった。
 この広い世界で、間違いなく『美しい』と呼べる光を宿していた。
「お聞きしてもよろしいですか?」
 少年は尋ねた。
 少女が見ているものは何だろうか。
 あの空の青さだろうか、雲の向かう先だろうか。
 もっと先のことだろうか。
 たとえば……そう、未来のように。
 形を持たないものだろうか。
「私は」
 明るい色の髪がしなやかに揺れた。
 緑の瞳が陸遜を見つめる。
「陸遜よりも先に死なないって。
 決めているの」
 尚香ははっきりと告げた。
 射るように強い眼差し。
 それが、あまりに美しかったから、陸遜は微笑んだ。
「私が死んでも、あなたはそうやって笑っていそうだから。
 だから、私は陸遜より先に死なないわ」
 見たくないもの。と尚香は言う。
「想像もしたことがありません」
 少年は言った。
 目の前にいる少女が失われる瞬間。
 いつか、やってくる未来だとしても。
 想像したことはない。
 こんなに美しいものを見ることができなくなる。
 そんな未来は考えたこともなかった。
「悲しすぎますよ」
 陸遜は言った。
「だったら……!」
 少女の真っ白な頬に朱が走る。
「ちょっとはそれらしい顔をしなさいよ!
 ……変わらないじゃない」
 緑の瞳が揺れる。
 素直に、心が映る。
 それが本当に美しかったから。
 それが人の正しいあり方のようだったから。
 陸遜は言葉を変えた。
「そうですね」
 と。
 『そうですか?』と言葉を返すのではなく。
 尚香の言葉を受け止めて、微笑んだ。


 空が青い日のこと。
 乾いた音が響いた。
 頬を叩かれた少年は、怒りもしなかったし、泣きもしなかった。
 ただ微笑んだまま、少女の心の痛みを考えた。
 叩かれた自分よりも。
 叩いた少女のほうが。
 ずっとずっと、傷ついた顔をしていた。
 それが悲しかった。

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