七夕


「司馬懿様、最近は七夕に結婚するのが流行ってるみたいですよ」
 雑誌から仕入れたばかりの知識を少女は、披露する。
「今からでは、一年先になるな」
 隣で話“だけ”を聞いていた青年は言った。
 琥珀だの、冬の太陽だの、どうでも良いものに譬えられる双眸は、書簡を追うので忙しかった。
 世間一般が休日であろうと、仕事をするのが司馬懿だった。
「私だったら嫌です」
 は強い口調で言った。
 司馬懿はようやく顔を上げ、己の婚約者を見た。
 くだらないことが好きそうな少女は

「たった一日です。
 残りの364日は、どうやって過ごせばいいんですか?」

 真剣に言った。
 月のない日に見上げた夜空のように、深い色の瞳がひたっと司馬懿を見つめる。
「普通に過ごせば良いだろう。
 さぞや、静かであろうな」
 司馬懿は言った。
「ひ、ひどいです〜。
 やっぱり、うるさいって思っていたんですね!」
「自覚はあったようだな」
「そりゃあ、司馬懿様に比べたら、騒々しいし、騒がしいし、やかましいし……あれ?
 えーっと。
 そういう話をしてたんじゃないんです!
 司馬懿様は、残りの364日は寂しくないんですか?」
 は言った。
「牛飼いになったことがないから、わからぬな」
 司馬懿は書簡に視線を戻す。
 隣に少女がいると、仕事がはかどらない。
 理由を見つけては邪魔をしてくれる。
 だからといって目を離せば離したで騒動と仲良くしてくる。
「司馬懿様には似合わない職業ですね。
 朝日と共に起きて、外に出る。
 っていうのがイメージに合わないっていうか……。
 でも、どうして牛飼いなんですか?」
 七夕を持ち出した少女は、不思議そうに尋ねる。
「首から上は飾り物か?」
「まさか。
 頭がなかったら、困っちゃうじゃないですか。
 綺麗なものを見つけたり、美味しいものを食べられなくなっちゃいます!」
「お前の頭の中には物欲と食欲しか、入っていないのか」
 司馬懿は、ためいきをついた。
 期待するほうが馬鹿らしい。
 そう思わせるには十分な説得力のある物言いだった。
「他にもちゃんと考えています!
 司馬懿さ……あ、何でもないですっ!
 お金のことと食べ物のことしか、入ってない……かもです」
 隣の気配は慌てたように言う。
 青年はしばし迷った後に、書簡に意識を戻した。
 問いただしたところで、少女から明確な答えを聞きだすのは難しいだろう。
 妙な間に耐え切れなくなったのか、はまた話し出す。
「一年は長いのに、たった一日だけって嬉しくないです。
 どうして、二人はそんな約束を守っているんでしょうか」
 無邪気に悩みを口にする。
 自分自身に係わりのない心配事というのは、暇つぶしにちょうど良いのだろう。
 おせっかいな少女は、神話の人物にも世話を焼こうとする。
 それを半ば聞き流しながら、司馬懿は今夜の天候を思い出す。
 一年に一度きりの出会い。
 星の時間は、人の身に流れるものとは幾分か違うのもの。
 短くはないが、想像するよりも長くはないだろう。
 もっとも、どんなに短くても、待つのも待たされるのも、司馬懿にとっては不快だった。
「どう思いますか? 司馬懿様」
「さてな」
 青年は適当な相槌を打つ。
「私は――」
 尽きぬおしゃべりを耳にしながら、司馬懿は次の竹簡の紐を解いた。


 青年が明確な答えを得られなかったように、少女もまた明確な答えを得ることができなかった。


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