19:優

 クラインの至宝。
 統治者の聖なる証と呼ばれる紫の双眸が鏡に映りこむ。
 灯燭の幽かな光を浴びて、陽の中で見るよりも鮮やかだった。
 誰よりも美しい色の瞳を持つのは、摂政殿下。
 セイリオスだった。

 皮肉なものだ。

 23年間付き合ってきたから、その思いは言葉に出ない。
 それを口にすることがどれほど危険か、無垢な魂に用心深さを与えるには十分な時間だった。
 
 この色を持って生まれたから、青年はここにいるのだ。
 次の王になるために、ここにいる。
 こうして、紫の瞳を持つということは、この身には幾ばくかの王家の血が流れるのだろう。
 直系に女子しか生まれなかった場合、傍系の男子が玉座を埋めることは珍しくはない。
 サークリッド家には、現在男子がいなかった。
 だから、セイリオスが継ぐのは、理に適っている。

 鏡は正直であった。
 迷い、悩む、愚かな男の顔が映っていた。
 姿見の中の紫の瞳が嗤う。
 
 セイリオスはきびすを返す。
 穢れなき白の長衣がバサバサと音を立ててひるがえる。
 ろくなことしか考えられない夜は、まぶたを閉じるに限る。
 23年。
 セイリオスにとっては、一生を意味する時間。
 彼はこの国を継ぐべきものとして、生きてきた。
 これから先も、それは揺るぐことはない。
 だから――。


 トントン

 夜のしじまを解く、ノックの音。
 セイリオスは皇太子の顔に戻った。
 ためらいがちに開かれた扉から、薔薇色の髪の少女が姿を現す。
 セイリオスと同じ色の瞳が彼を見つめる。
「どうしたんだい?ディアーナ」
 妹を耽溺してやまない青年は優しく微笑んだ。
「お兄様。
 怖い夢を見ましたわ」
 ディアーナは、柔らかな色の寝着の前をかき合わせる。
 夜目にも明らかに、細い肩が震えていた。
「話を聞こう。
 人に話してしまえば、夢は叶わなくなるというからね」
 兄は妹の肩に、衣をすべらせる。
 上質な絹ごしに伝わる震えに同情しながら、椅子に座らせる。

「かまいませんの?
 お兄様、これから眠ろうと」
「大丈夫だよ。
 なかなか眠れないから、本でも読もうと思っていたところだ」
「でも、ですわ」
「ここでディアーナを追い返してしまったら、余計に目がさえてしまうよ。
 話を聞かせてくれるね?
 どんな夢を見たんだい?」
「それは……」
 林檎の花びらのような唇をかみ、うつむく。
 膝に載ったこぶしは、指が白くなるほど固く握りしめられていた。
 いったい、何があったのだろう。
 どんな夢が妹を追い詰めるのだろうか。
「ディアーナ」
 セイリオスの声に、少女は顔を上げる。
 混じりけのない紫水晶の瞳は、涙で潤んでいた。

「お兄様が、どこか遠くへ行ってしまう夢ですわ」

 その言葉とともに、白い珠が頬を伝う。
「何度呼んでも、お兄様は帰ってきてくれませんでしたの。
 喉が裂けるほど、呼んだんですわ。
 ……そして、自分の声で……目覚めましたわ。
 夢が夢じゃないような気がして、私……。
 どうしても確かめたくなって」
 ハラリハラリと涙が零れ落ちる。

 悲しみと不安で彩られた声は、セイリオスを責める。
 どこにも、行かないでくれ、と。
 薔薇の柔らかな棘のように突き刺さる。
 無理に抜こうとすれば、たちまちに傷が深くなるように。
 この声は危険だった。

「お兄様。
 私を置いて、どこかへ行きますの?」
「どこかに行くはずないだろう。
 私は、この国の皇太子なのだよ」
 セイリオスは床に膝をつき、ディアーナを目線を合わせる。
 いつまでも、子どものような妹。
 離宮で過ごしていたときと、変わらない。
 匂うように美しくなったというのに、その心は変わらない。
「でも、ですわ」
「置いていくのは、ディアーナのほうだろう」
 青年は微苦笑を浮かべる。
 それは妹思いの優しい兄、そのもののだった。

「え?」
「春になって、成人したら、あっという間に結婚するんだろうね。
 それで、私は惚気ばかりを聞かされるんだ」
「私の一番はお兄様とお父様ですわ」
 ディアーナは真剣に言った。
「今だけでも、嬉しいよ。
 やがて、違う男が一番になるのは自然なことなんだよ」
「わかりませんですわ」
 少女は涙を手の甲でぬぐう。
 まなじりから最後のひとひらが零れる。
「そのうちわかるよ」
「わかりたくありませんですわ」
 頑固な妹に、兄は苦笑を深くする。
「怖い夢からもう醒めたかい?」
「え?ええ。……もちろんですわ。
 お兄様と話していたら、ドキドキが収まりましたわ」
 ディアーナは笑った。
「それは良かった。
 眠れそうかな?」
 セイリオスは立ち上がり、少女に手を差し伸べる。
 真っ白な手がそっと重なり、ひらりとディアーナは立ち上がった。
「はいですわ。
 おやすみなさいませですわ」
 少女は、扉の前で優雅に一礼する。
「ああ、おやすみ。ディアーナ」

「お兄様、ここにいてくださります?
 ずっと」
 クラインの至高が、青年を見据える。
「もちろんだよ、ディアーナ」
 セイリオスはうなずいた。
 それに安心したのか、ホッと笑みをこぼし、少女は扉の向こうへ消えた。


 セイリオスは姿見を見やる。
 寸分違わぬ紫の瞳が映る。
 大切な妹の言葉は、まるで優しい鎖のようだった。
 この国と、セイリオスを縛る。
 紫の瞳以上の、楔であった。


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