11:底

 深く、深く、沈んでいく。
 どこまでも落ちていく。
 ゆっくり、ゆっくり。
 確かに、確かに。
 沈んでいく、落ちていく。
 記憶の淵、過去の中。
 面影を探して。


 くりかえされる春の中、彼はいつも微笑んでいる。
 知らない世界に来た途惑いを隠して。

「先輩。
 ケーキを焼いてみたんです。
 一口、どうですか?」
 一つ年下の幼なじみは、微笑みながら、盆を見せる。
 漆塗りの盆の上には、果物がふんだんにのったケーキがあった。
「ケーキ!?
 食べる!」
 剣の型を懸命になぞっていた少女は、剣を放り出しかねない勢いで言う。
 廂まで走りより、感激する。
「うわぁ、すごい!
 こんなのもの作れるんだ。
 譲くんって、何でもできるんだね」
 望美は無邪気に言った。
「そんなに難しくありませんよ。
 材料さえ、そろえば」
「すごいよ!
 材料があっても、私には作れないもん」
 少女は手早くスニーカーを脱ぎ捨てると、廂に上がる。

「今度、作り方教えて」
「先輩が作るんですか……?
 ……そうですね……。
 蒸しケーキだったら……いや、でも」
 譲は考え込むように、遠くをみる。
「どうしたの、譲くん?」
 望美は小首をかしげる。
「…………。
 料理に慣れていない人には、火の加減が難しいから」
「あ、そっか。
 かまどだもんね。
 電子レンジとかじゃないから、難しいよね。
 じゃあ、帰ったら教えてくれる?」
「いいですよ。
 帰る理由が一つ増えましたね」

「あ、うん。
 そうだね」
「春日先輩?」
「な、何でもないよ!
 ケーキ美味しそうだね」
 少女は盆に手を伸ばそうとする。
 が、ひょいと盆が遠ざかる。
「?」
「先輩、手を洗ってこないと駄目ですよ」
 譲は微笑んだ。
「はーい」


 くりかえされる春の中。
 運命を変えようと抗うから、少しずつ違う過去。
 新しい記憶と、懐かしい未来。


「譲くん、ケーキ美味しいね」
「喜んでもらえると、作った甲斐がありますね。
 明日は何を作ろうか、考える楽しみができます」
「……。
 譲くんは、明日が楽しみなの?」
「ええ、先輩の喜ぶ顔が見たいですから」
「そうなんだ」
「先輩は、違うんですか?」
「今が、こんなに幸せだからかな。
 明日よりも、今日が楽しいから、だから。
 それに、ケーキもあるし」
 望美は髪を耳にかける。
「そんなに気に入ったんでしたら、明日も作りますよ」
 譲は失笑して、それから優しく言った。
「ホント?
 楽しみだな」
 少女は笑みを作った。


 深く、深く、沈んでいく。
 どこまでも落ちていく。
 底が見えない水の中に。
 ゆっくりと、確かに。
 時空という流れの中に。
 記憶の底に……。
 懐かしい人と新しい未来を見るために。


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