悪戯の理由


「呂蒙! 呂蒙!」
 孫家の末姫が走ってくる。
 すべらかな頬を紅潮させて駆け寄ってくる姿は、幼い頃からまったく変わっていない。
「かばって!」
 呂蒙の背中にクルッと回って尚香は言う。
 肩越しに見やれば、緑の瞳には「お願い」と書いてあった。
「呂蒙は、いつでも私の味方よね」
 尚香は必死で念押しする。
 今度はいったい何をしでかしたのか。
 怒られるようなことをしたのは自覚済みのようだ。
 不安そうな姿を見捨てることはできず
「そうですな」
 と呂蒙はうなずいた。
 ぱぁっと尚香の顔に喜びが広がる。
 曇っていた空が一気に晴れ上がったような。
 そんな気にさせる笑顔に呂蒙は気を良くしてしまう。
「やっぱり呂蒙は誰かさんとは違うわね」
 背中にへばりつくように寄り添う少女は言う。
 誰と比べたのか、わかるような気がして男は微苦笑した。
 近づいてくる足音に呂蒙は視線を向ける。
 少女の良き遊び相手になっている少年が『珍しく』感情をあらわにしていた。

 怒っていた。

 因果関係がよくわかった。
「私の味方よね」
 背中越しの気配が頼りなく尋ねる。
「絶対に敵にはなりません。
 ご安心を」
 呂蒙は断言した。
「姫!」
 怒気の混じった声がたどりつく。
 よく通る声がこのように感情を見せるのは、戦場ぐらいだと思っていた。
 孫呉の弓腰姫は、他人の感情を引き出すのが上手だと感心する。
「そうやって呂蒙殿の後ろに隠れるとは、卑怯です!」
 陸遜は糾弾でもするかのように言う。
 それにおびえたのか、微かな震えが伝わってくる。
「陸遜。
 何があったかは知らないが、そう怒るな」
 呂蒙は仲裁に入る。
「呂蒙殿は甘すぎます。
 そうしてかばわれるから、姫が付け上がるのです」
 陸遜は呂蒙を見上げる。
 少年の言った台詞をそっくりと返してやりたくなる。
 少女が何をしても、微笑んで済ましているのは、いったいどこの誰だか。
「それはともかくとして、何があったんだ?」
「姫が上奏文の草案に悪戯をしたのです」
 陸遜は言った。
「悪戯」
 呂蒙はあごに手をやり、うなる。
 怒りたくなる気持ちはわかるというものだ。
「とはいえ、下書きで良かったではないか」
 呂蒙は言った。
「何をしたかご存知ではないから言えるのです。
 パンダを描いたんですよ」
 真剣な表情で少年は告げる。
 もたらされた話との差に、呂蒙は失笑した。
「机の上に出しっぱなしにしていた陸遜が悪いのよ」
 呂蒙を盾にするように尚香は顔を出す。
 華奢な手はしっかりと呂蒙の衣をつかんでいる。
「殿に呼ばれて席を立ったのです」
「そんなに大事なら、ちゃんとしまっておけば良かったじゃない。
 兄様なら、そうするわよ」
「だからといって、悪戯をしても良いということにはなりません。
 第一、何故パンダなんですか?
 そんなことをして許されるのは、小喬殿ぐらいです」
「どうして小喬が良くって、私じゃダメなのよ!」
「誰がそんな話をしてるんですか!?」
「今、陸遜が言ったんじゃない!
 あ! わかった。
 陸遜は小喬のことが好きなんでしょ。
 でも、残念だったわね。
 小喬は周瑜の奥さんなんだから。
 どんなに想っても、叶わないんだから」
「話が飛躍しすぎです!
 どうして他人のものに悪戯をしたんですかっ!?」
 陸遜は言った。
 口論がここで途切れた。
 勝気な少女が言葉に詰まったのだ。
「陸遜。
 姫も反省しているようだ」
「呂蒙殿。どこが反省しているのですか?
 私には姫が反省しているようには見えないのですが」
 大きなためいきをつき、陸遜は言う。
「どちらにしろ上奏文は清書する予定だったのだろう?
 そう、事を荒立てる必要はないではないか」
 呂蒙は言う。
「今回は運が良かっただけです。
 次はもっと大事なものかもしれません」
 陸遜は言う。
 少年はくりかえされることを恐れているのだ。
 だから、理由を知りたがっている。
 根本から解決しなければ、いたちごっこになることを理解しているのだろう。
「もうやらないわよ」
 少女は甲高い声で告げる。
「姫もこうおっしゃっている。
 ここは一つ」
「理由をお聞かせください」
 呂蒙の言葉をさえぎるように、陸遜は言った。
「ただの悪ふざけとは思えません。
 理由もなく、姫はこのようなことをされるとは考えられません」
 少年はどこまでも真剣に言う。
「理由なんて、特にないわ」
 少女は呂蒙の背中に隠れたまま言う。
 怒っているはずの少年は、それでも少女を引っ張り出そうとはしない。
 呂蒙を見て、口を引き結ぶだけだ。
「急ぎの用はあるのか?」
 呂蒙は陸遜に尋ねる。
「いえ。特にはありませんが……」
「殿には俺から言っておこう。
 気晴らしに、二人で遠乗りでにも行ってくると良いだろう」
「ですが」
 途惑う少年をさておき、呂蒙は少女に向き直る。
 緑の瞳にも割り切れない感情が浮かんでいた。
 呂蒙は尚香の背を押して、陸遜の前に立たせてやる。
「ケンカをするよりも、有意義だ。
 日が沈むまでに、ちゃんと帰ってくるんだぞ」
 呂蒙は言った。
 少年と少女の視線が合う。
「お一人で行かれても困りますから」
 陸遜は言い訳のように呟く。
「嫌なら良いのよ。
 呂蒙と一緒にいるんだから」
 尚香は陸遜から顔を背ける。
「ほら、二人とも。
 水を売っている時間がもったいないぞ」
 呂蒙は追い立ててやる。
 それでようやく、二人は歩き出す。
 歩みが疾走に切り替わる直前、少女が振り返る。

「ありがとう!」

 尚香は笑顔で言った。
 呂蒙は手を上げ、それに答える。
 小さくなっていく背中を見送りながら
「パンダ……か」
 男は呟いた。
 それを描いた少女の孤独感と寂しさが想像でき、ためいきをついた。
「殿に進言してみるか」
 それであの笑顔が曇らなくなるというなら、悪くないと思ってしまうのだった。


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