奇跡の意味

 精霊師が精霊師たる最大の魔法《リザレクション》。
 戦いの中、命を落とした者の魂を呼び戻す蘇生魔法。
 神と人の混血だからこそ、起こせる奇跡。
 唱えることなく、その生を終わることができた精霊師は幸運だ。
 大多数の精霊師は、その魔法を何度も唱えることになる。
 そう、何度でも。
 奇跡の名に値しないほど、くりかえされる詠唱。


「統風! 謝りなさい!!」
 姉跡風の声がした。
 屋根の下から。
「姉さん?」
 統風は、祖龍城の広すぎる道を見た。
 整然と石が並べられた地面の上に、姉が立っていた。
 祖龍城の中とはいえ、城北。
 オークショニアも倉庫番もいなければ、マスターたちの詰め所とも遠い。
 この辺りに用事がある人物は少ない。
 姉が、ここにいて、統風を睨んでいる。
 状況こそが、理由になる。
 誰かが、姉に告げ口をしたのだ。
「元気そうだね」
 屋根に座りこんだまま、統風は言った。
「ええ、元気よ。ありがとう」
 跡風は表情も硬く言った。
「そんなところにいないで、早く謝ってきなさい」
 事情を知った上のことだろう。
 跡風は一方的に言った。
 遠慮がちに話す、普段の姉からは想像がつきがたい口調だった。
 ……怒っているのだろう。
 統風はためいきをつき、言葉を探す。
 姉弟喧嘩をするほどの元気はない。
 ふいに、この場にはそぐわない笑い声が耳に入ってきた。
 面白くて仕方がないっといった感じの笑い。
 他人の感情を逆なでするような無責任な声だった。
 声の方向を見やれば巫霊がいた。
 朽葉のような翅を背負った白虎の巫霊が、姉の周りを飛んでいた。
 統風はうつむいた。
 謝る理由がわからなかった。
 何に謝ればいいのか。
 誰に謝ればいいのか。
 それがわからなかった。
 統風は法剣の柄を握りしめる。
「見捨てて悪かった、って謝ればいいの?」
 姉に訊いた。
 青水晶の翅がひらりと視界をよぎる。
 キラキラと優しい光が統風にも降りかかる。
 少年は顔を上げた。
 自分のそれとは異なる、それでも似た緑の瞳と出会う。
「僕が逃げ出したことには変わらない」
 許されるわけがない。
 パーティメンバーを見捨てて逃げたのだ。
 まだ命はあったのに。
 まだ生きていたのに。
 全力で逃げ出したのだ。
 言い訳できる状況ではない。
 ……言い訳したいとも思わなかった。
「抱えていたら、あなたが壊れてしまうわ」
 跡風はすとんっと屋根の上に降りた。
 繊細な飛行道具は雪のように空気に溶ける。
 薬に似た植物の香りがする。
 姉の匂いだ。
 丹薬の材料を集め、作る姉だから、いつでもこの香りがする。
 胸をすっと楽にする、そんな香りだった。
「謝って、許してもらいなさい」
 統風の隣に座ると、跡風は言った。
「許せない」
 姉を見ずに少年は答えた。
「そうね」
「僕が逃げなければ、助かったかもしれない」
「ええ」
「誰も傷つかなかったかもしれない」
「ええ」
「……見殺しにしたんだ」
「そうね」
「僕は……」
 それ以上、言葉が出てこなかった。
「それでも私たちは精霊師だわ」
 精霊師の女性は、確認するように言った。
 統風は姉の横顔を見た。
「戦場で最後まで生き残らなければならない。
 誰もが盾になって、私たちを逃がしてくれる」
 跡風はためいきをつく。
 自分に似た、それでも違う色の双眸は、空を仰ぐ。
 ……うつむかずに。
「みんな奇跡を信じているから」
 弱々しい。
 それでも笑顔と呼べるものを浮かべて、姉は言った。
「奇跡じゃないよ」
「そうね。
 それでも精霊師以外の人たちは、それを奇跡だと信じている。
 間違いなく、蘇生魔法は奇跡なのよ」
「リザレクションなんてなくてもいいのに」
 統風は言った。
 本音が、こぼれた。
 精霊師が精霊師と呼ばれる最大の魔法。
 存在意義ですらある魔法。
 重くて仕方がなかった。
「他の人にとって、蘇生魔法は奇跡。
 私たちにとって、蘇生魔法は希望」
「……希望?」
「そこでお別れだったら、悲しいでしょう?
 言葉を交わすことも、笑顔を見ることもできなくなる。
 未来が喪われてしまうの。
 だから、希望。
 明日も一緒にいられる、という希望」
 大切な宝物を語るように。
 優しい声で姉は言った。
「姉さんは、何回ぐらい唱えたことがある?」
「忘れちゃったわ」
 跡風は微笑んだ。
「そうか」
 統風は納得した。
 数え切れないぐらい唱えたのだろう。
 その度に泣いたのかもしれない。
 助けられなかった生命に。
 自分の非力さに。
「統風、謝りなさい」
 姉は、もう一度言った。
「卑怯だよ」
 許してくれるだろう、と確信している。
 怒ってない、とわかっている。
 奇跡に感謝することはあっても。
「そうよ、卑怯よ。
 パーティメンバーなんでしょう?
 それぐらいの迷惑は、迷惑のうちに入らないわよ」
 跡風は言った。
 統風は口をつぐんだ。
 開いたら、弱音がボロボロとこぼれてしまいそうだった。
 屋根から落ちて、地面いっぱいにバラバラと転がっていきそうだった。
「何でも一人でやろうとしちゃ駄目よ。
 足りないところを補い合うのが、パーティなんだから」
 跡風は言った。
 木の葉の翅を持つ巫霊が楽しげに飛び回る。
 赤い落ち葉がひらひらと舞って、宙に溶けていく。
 それでも、赤い葉は幾毎も落ちていく。
 樹木に茂る葉とは違い、力が凝縮されたそれは地面に重なることはない。
 生まれては消える……光。
 それは何かに似ていた。
 切ないほど刹那の光。人の生命。夜空を駆ける流星。
「そうだね」
 統風は言った。
 あの場を逃げ出したんじゃない。
 あの場から、逃がしてもらったんだ。
 死者が出るのは避けるべきこと。それ以上に、パーティが全滅することは忌避すべきこと。
 だから、壁役は最後まで盾としての務めを果たす。
「これも我が儘なんだろうね」
 傷つきながらも敵を引き止める後姿を。
 確実に削られていく生命を。
 近い未来を知っていて、統風は逃げた。
 盾が役割を全うしようとしたのだから、回復役も役割を全うしなければならない。
 最後まで生き延びる。
 たった一人になっても、生き続ける。
 そして、巨大な怨霊が立ち去った後に残っていたのは死体だった。
 抉られた腹、関節を無視して曲がる足、肘から先のない腕、おびただしい血液の上で壊れた人形のように横たわっていた。
 痛かっただろう。
 苦しかっただろう。
 怖かっただろう。
 辛くないはずがない。
 さっきまで、生きていたのだから……!
 そこにあったのは優しい死ではない。
 蘇生魔法も、また優しさではない。
 無残な死を迎えさせるための魔法なのだ。何度でも、残酷な死を味あわせるための、魔法。
「……謝ってくるよ」
 統風は法剣の柄を握りしめて、立ち上がった。
「行ってらっしゃい」
 キラリっと、繊細な飛行道具が姉の背に広がる。
 青水晶でこしらえたような蝶の翅。
 舞うようにするりと、空に駆けていく。
 青白い光珠に重なるように巫霊の落ち葉の形をした光も宙に散らばり、統風にふれる前に消えた。



 《リザレクション》は奇跡ではない。
 その魔法を受けて、起き上がり戦う者の心が奇跡。
 どのような死を迎えても、それを乗り越えて、戦い続けると決心する者の心こそが奇跡。
 神が与えた恩寵は奇跡ではなく、人が歩いてきた道こそが軌跡にして、奇跡。
 未熟な精霊師がそれに気がつくのは、まだまだ先のことだった――。

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