体を駆け抜けるぬくもり

 火鉢のあたたかさがほっとさせる季節。
 白い空が広がり、寒さが人恋しくさせる頃。
 元の世界に戻るよりも、京に残ることを選んだ少女の元に、天の白虎の藤原鷹通が足を運んだ。
 八葉の誰よりも鷹通がまめまめしく土御門邸に通うので、それを笑う者がいるぐらいだった。
 それほどまでの好意を向けられても龍神の神子は理解していないようだった。
 それは鷹通にもひしひしと感じていた。
 自分らしく過ごすだけだ、と思っていた。
 その日もそうだった。
 少女の顔が見られれば充分だと考えていた。
 宮中の行事が一段落して、久しぶりに鷹通は土御門邸に訪れた。
「欲しい物はありませんか?
 何でもいいですよ」
 挨拶もそこそこに、清らな少女は何の駆け引きもなく言った。
 あんまりの無垢さに、自分の心の醜さに嫌悪感を覚えた。
「……何でもいいのですか?」
 鷹通はあかねの向かい側に座る。
 二人の間には御簾も、几帳もなかった。
 扇で顔を隠すことがないところも一風変わっていた。
 傍らにあった火鉢があたたかかった。
 少女の言葉は、今まで八葉に聞いてきた言葉だっただろう。
 神子のいた世界では誕生した日を祝うという。
 生まれてきたことを、出会えたことを感謝するという。
 そして、そこではささやかな贈り物を贈るという。
 くりかえされるそれは、淋しさを感じさせる習慣だった。
 元の世界へ帰ることを諦めたことを知らせる。
「私のできる範囲なら、ですが」
 あかねは言った。
 伸びてきた髪が肩から零れ落ちる。
 ふれたくてたまらない。

「それなら、あなたが欲しい」
 
 鷹通は貪欲にも、手に入れたいものを言った。
「え?」
 あかねは大きな瞳をゆっくりと瞬かせる。
 理解が追いついていないようだった。
「私の一の人になってくれませんか?」
 鷹通は真っ直ぐとあかねを見つめた。
「それって」
「文も出さずに性急でしたね」
 我ながら滑稽だった。
 二人きりの空間で良かった、と思った。
「鷹通さんは、私のことが好きなんですか?」
 あかねの大きな瞳がさらに大きくなる。
 驚いている様子に苦笑した。
 ここまで真っ白だとは思わなかった。
 まるで幼子のような反応だった。
「折を見て伝えてきたつもりでしたが、神子殿には伝わっていなかったのですね」
 鷹通はあかねの手を取る。
 京を救ってきた龍神の神子の手は、ほっそりとして娘らしかった。

「あなたを愛しています」

 勘違いをされないように鷹通は、はっきりと言った。
「私なんかでいいのですか?」
 自分の価値に気がついていない少女は不思議そうに問う。
「あなたがいいのです。
 『ぷれぜんと』していただけますか?」
 鷹通の言葉に、あかねは満面の笑みを浮かべた。
「喜んで」
 あかねは言った。
 あまりに順調な展開に鷹通は途惑う。
 本当に少女は自分のことを好いていてくれているのだろうか。
 それを訊くのは怖かった。
 純粋であるが故の真っ直ぐさに、恋とはどういうものなのだろうか、と自分に質問をしたくなる。
 これが恋だという証拠が欲しかった。
「花を添えて文を送りますね」
 鷹通は声が上擦らないように言った。
「そんなに形式ばらなくても」
 あかねは言った。
「一生に一度の恋のつもりです。
 こちらでの手順を味わってほしいのです。
 一つ一つが『ぷれぜんと』です」
 鷹通は切々と言った。
 勘違いではないと知りたいのだ。
 少女も恋をしていると。
「改めて言われると照れますね」
 あかねは頬を染める。
「これから、よろしくお願いします」
 鷹通は少女の手を握ったまま、頭を垂れた。
 欲しいものにふれることができる。
 とても素晴らしいことだろう。
「こちらこそ。
 でも……歌なんて詠めませんよ」
 あかねは困ったように言った。
「気持ちがこもっていれば充分です。
 私だけがもらえる世界にただ一つの文です。
 宝物ですよ」
 と、鷹通は恋のほろ苦さを味わう。
 少女が明らかに好意を持っていることに気がつけた。
 困惑の中でも、いつでも真っ直ぐでいてくれた少女らしかった。
 異世界から舞い降りた龍神の神子だ。
 少しぐらい風変わりでも良いと思えた。
「長々しき想いですが、これで今日は失礼します」
「もう帰っちゃうのですか?」
 残念そうな顔をする。
 名残惜しいのはこちらの方だ。
 想われているとわかって、もっともっとと胸の奥底から感情がこみあげてくる。
「そんな顔をしないでください。
 今すぐに、あなたの全てが欲しくなります」
 鷹通は手を離した。
 それすら心が痛かった。
 もっと、ふれていたかった。
「す、すみません」
「神子殿が謝られることではありませんよ。
 未熟な私がいたらないのです。
 ……待っていてくださいね」
 鷹通の台詞にあかねの強張っていた顔がほぐれていく。
 何て素敵な『ぷれぜんと』なのだろうか。
「はい」
 少女は頷いた。
「愛しい存在ができるのは良いことですね」
 恋を知る前の自分とは異なっていることがわかった。
 これからも知らない自分と出会うだろう。
 波乱に満ちた展開は得意ではなかったけれども、これは悪くない。
「鷹通さんに似合う奥さんになるために、頑張りますね」
 あかねは無邪気に言う。
 そんなところも愛らしいと思った。
「あなたはあなたらしくいれば、それだけでいいのですよ。
 では、また」
 鷹通は立ちあがった。
 見送りに御簾まであかねが従う。
 今まではなかったことだ。
 ささやかな変化が喜ばしい。
「今度はいつ、来てくれますか?」
 あかねが尋ねる。
「あなたが望むのなら、毎日でも」
 鷹通は答えた。
 少女は大きな瞳を輝かせて
「約束ですよ」
 と、言った。
「『ゆびきり』をしましょうか?」
 純粋すぎる少女に、鷹通は微苦笑を浮かべた。
 何もかもが愛おしい。
 こんな存在に出会えたことこそ、奇跡だった。
 あかねは小指を差し出す。
 鷹通は自分のそれを絡める。
 ささやかなぬくもりは、火鉢のそれとは違う。
 胸が熱くなる。
「永遠に愛していますよ」
 鷹通は声を落としてささやいた。
 あかねがうつむいたので、その表情を見ることはできなかった。
 ただ耳まで赤く染まっているところが可愛らしい。
 薄紅色に染まった耳に唇を寄せたいと思った。
 そんな大胆な自分に、苦笑する。
 ゆっくりと、じっくりと、恋を味わいたい。
 ただ一人の人と決めたのだから。
 そう思っているのに、今すぐすべてが欲しいとも思う。
 二律背反だった。
 まるで少女は芳しい酒のようだ。
 鷹通を酔わせる。
 これほど想う相手に出会うことはないだろう。
 少女とかつて見た連理の賢木のようだった。
 恋心に鈍いのは、己の方であったと鷹通が知るのはずいぶん後のことだった。
 龍神の神子が京に留まった理由を知るのは、文が何通も行き来してからであった。


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