先生と生徒

 週に一度、藤原鷹通は土御門邸にやってくる。
 雨の日であっても、強い風が吹く日であっても、まめに通ってくる。
 京が救われてから土御門邸に、熱心に通う八葉は天地の白虎ぐらいだった。
 皆は己の生活に戻り、全員が揃うこともなくなった。
 あかねは、それを寂しく思わないわけではなかったが、仕方がないと諦めていた。
 冬の寒さが堪える日々。
 あかねが龍神の神子であった時のように、鷹通は文字を教えにやってきた。
 龍神の力の一つとして、文字を読むことには困らなかった。
 けれども書くほうは無理だった。
 流れるような書体で、散り散りに歌を書くのが常識の世界だった。
 そこで、あかねは能筆な鷹通に先生を頼んだのだった。
 恋文を送りたい相手に文字を習うというのは、本末転倒のような気がしたがしょうがない。
 他に先生役になってくれそうな八葉はいなかった。
「12月22日って空いてますか?」
 あかねは意を決して尋ねた。
「宮中で宴があります」
「お仕事なんですね。頑張ってください」
「神子殿に用事があるのでしたら、そちらを優先させますよ」
 誠実な青年は言った。
 あかねは首を横に振った。
 伸びてきた髪が肩で揺れる。
「何でもないです」
 あかねは微笑んだ。
 鷹通は腑に落ちないといった表情を浮かべた。

   ◇◆◇◆◇

「憂う君も美しいね」
 艶やかな美声が降ってきた。
「友雅さん!」
 あかねは、ハッと顔を上げた。
 優雅な公達は几帳を押しのけて、文机を挟んで座る。
「文字の練習かい?
 私あての文だったら嬉しいのだけれど」
 パタパタと紙扇を開く。
「友雅殿!
 何度言えばわかるのですか?
 庭伝いにやってこないでください。
 取次ぎもなく、来られたら困ります!」
 藤姫が衣擦れの音を立てながら、やってきた。
「今日はどんなご用事ですの?」
 甲高い声で藤姫は詰問する。
「麗しい姫君たちを愛でにきたのだよ。
 これから忙しくなるからね」
 友雅は笑った。
「では、もうお帰りください」
「そう冷たくされると、かえって情熱が湧き上がってくるというものだよ」
 紙扇で一扇ぎする。
 今はいない青年と似た香りが広がった。
 鷹通さんに会いたい。と心が叫んだ。
「まるで夜離れを悲しむような表情だね。
 鷹通は来ていないのかい?」
「先週までは週に一度、来てくれていたんですが。
 お仕事が忙しいみたいで」
 あかねは視線を落とす。
 文机の上には、頼りない文字が躍っていた。
「練習の成果を見せる時ではないのかな?」
 友雅が言った。
「そっか!
 文を贈れば」
 来てくれなくても返事をしてくれるだろう。
 あかねの鼓動は早くなる。
「藤姫、淡萌黄の紙!」
「すぐにお持ちしますわ」
 藤姫はくすくすと笑いながら立ち去る。
「ありがとうございます、友雅さん」
「君の笑顔のためだ。お安い御用だよ」

   ◇◆◇◆◇

 日ごと寒さが厳しくなる。
 傍にあった火鉢の炭がほろりと崩れた。
「探したよ、鷹通」
 重々しい足音が床を踏む。
「友雅殿。警備はいいのですか?」
 鷹通は尋ねた。
 治部省よりも近衛府のほうが忙しい日だろう。
「鶯のように春を告げにきたのだよ」
 友雅はいぶかしがる鷹通に、淡萌黄の文を手渡すと、火鉢の傍に座った。
 中を改めると、たどたどしい筆跡の文字が躍っていた。

『誕生日、おめでとうございます。
 いつもありがとうございます。
            あかね』

 謝辞の言葉だけが書かれていた。
 それが彼女らしくて、笑みが零れた。
「友雅殿。
 この通り、神子殿と私は先生と生徒という関係だけです」
 鷹通は友雅に文を見せた。
 風雅な公達は、しげしげと淡萌黄の文を見て笑う。
「文使いに見られることを危惧したのだろうね。
 誕生日を祝われるのは、存外嬉しいものだろう?」
「神子殿が育った世界の習慣ですよね。
 変わっているとは思いますが、素敵なものですね」
 青年は微笑んだ。
 一生懸命に書いたのだろう。
 整っているとは言いがたいが、頑張った様子が見受けられた。
 心の奥底が温まる。
 太陽のような輝きがあった。
「さあ、文に返事をくれないかい?
 私は忙しい身の上なのだからね」
 友雅はこともなげに言った。
 見られながら返事を書くのは難しい。
 鷹通はそれを実感した。

『もったいないお言葉をありがとうございます。
 誕生日を覚えていてくださり嬉しいです。
 ずいぶん文字も上達しましたね。
 淡萌黄の紙が好きなのを忘れずにいてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
                                 藤原鷹通』

 当たり障りのないことをしたためた。
 あくまで文字の先生と生徒のやり取りだ。
 恋文ではない。
「もう少し艶っぽいのを期待していたのだけれども。
 鷹通らしいといえば鷹通らしいね。
 私はこれを届けに行くよ」
 友雅は墨が乾いているのを確認して、折りたたむ。
「ご足労をおかけします」
「用事がなければ来てはいけない、と言われているからね。
 一つでも用事を作りたいのだよ」
 友雅は立ち上がった。
 残された鷹通は淡萌黄の文を見つめる。
「そろそろ先生はいらないですね」
 用事が一つ減る。
 そう思うと、寂寞とした感傷が胸のうちに広がった。
 これでいいのだ。
 納得できない自分に鷹通は驚く。
 生徒の上達は喜ぶべきことだ。
 それを素直に受け止められないのは、期待があるからだった。
 京を救った後も、天に帰らなかった神子に希望を持ってしまう。
 鷹通は静かにためいきをついた。
 大切に淡萌黄の文をたたみ、懐にしまうと仕事に戻る。
 忙しさが気を紛らわせる。
 青年は仕事のありがたみを感じてしまった。


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