どこにでもある一日

 カサッと、踏みしめた音で気がつく。
 緋色の魔導士は、空を仰ぐ。
 青い空いっぱいに小さな雲が先を急ぐように並んでいた。
 東から西へと群れのように集う羊雲。
 彼らは、いったいどこへと向かうのか。
 真っ直ぐに走っていく。
「いつの間に」
 視点を転じれば、見慣れたレンガ敷きの道にも、秋の気配はそこかしこに落ちている。
 街路樹が落とした葉が、道のアクセントになっている。
 キール=セリアンは、小箱を抱えなおして、道を急ぐ。
 堅い靴底が落ち葉をかみしめる。
 以前は好んだ音だった。
 が、今はそれどころではなかった。
 しみじみとした秋の気配を楽しむ心のゆとりは、さっぱりと消えてしまっている。
 正真正銘の「それどころでは、ない」だった。
 秋が寄り添っていることすら、失念するほどドタバタとした毎日を送っている。
 これと言うのも、はた迷惑な被保護者なせいだった。
 思い出すと平静ではいられなくなる。
 冷静に過去の記憶と対面すると、腹が立つ。
 自分が招いたとはいえ、納得できない日々が続いている。
 他人のせいにするのは己の実力不足を宣伝するようなものだったが、こればかりは文句の一つもつけたいところだった。
「何だって、俺が……。
 こんなことしてるんだ?」
 キールは早歩きで目的地に向かう。
 不機嫌さを隠しもしない青年に、すれ違う人々は何事かと好奇の視線を投げてよこす。
 魔導士たちが歩いていること自体珍しく、上級魔導士の証拠である自己主張の激しい緋色の肩掛けが目立たないはずもなく、それが若いともなれば、注目を集めないはずもない。
 王宮や院に向かうのであれば、視線はすぐにでも外れるだろう。
 が、青年が歩く道の先は住宅街。
 いったい何事か、と道行く人たちは噂する。
 キールに聞こえる音量で。
 不快だった。
 それでも責任感の強い青年は、真っ直ぐに目的地に向かうのだった。

 今日は、9月21日。

 どこにでもある日だ。
 祭があるわけでもなく、学会があるわけでもない。
 昨日と同じ日で、明日と変わらない日だ。
 けれど、この記号は重要な意味を持つ。
 異界からの訪問者、芽衣=藤原が生まれた日なのだ。
 キールが誕生日を祝ってやらなければいけない。
 数少ない人物の誕生した日だった。
 だから、キールは自分の家に急いだ。

   ◇◆◇◆◇

 気持ちよく手入れされた庭。
 風雨によって、景色に馴染んだ小さな家。
 窓にかかるカーテンは、遠くから見ても、手が込んでいることがわかる。
 万人が「家」と想像したら、こんな形になるのだろうか。
 誰もが帰りたくなるような雰囲気を漂わせて、セリアン家はあった。
 めったに帰ることはない自分の家だった。
 キール以上に、忙しいはずの双子の兄は、この「家」を居心地良くするために頑張っているらしい。
 門をくぐり、ドアの前でキールは迷う。
 しばらく考えてから、ノックのための右手を下ろした。
 ドアノブを回して
「ただいま」
 不慣れな単語を口にした。
 自分の耳で聞いて違和感があったのだから、他人にはもっと不自然さがあっただろう。
「ああ〜、キール。
 お帰りなさい」
 どこか間延びしたアイシュの声が迎える。
 胃を刺激するような香ばしい香りと、甘い匂いがした。
「遅ーい!
 待ち疲れちゃったんだから。
 早く、早く!!
 待っていたんだよ」
 嬉しそうな今夜の主人公。
 キールはドアを閉める。
 自分の家に帰ってきたんだ、と青年は実感した。
 さほど不快ではない感覚がゆったりと体を満たす。
 双子の兄はあいかわらずだった。
 今朝、キールがこの家を出て、仕事に行ってきたように、出迎えてくれる。
「腕によりをかけたんですよ〜」
 夕食の支度の途中だったのだろう。
 アイシュは白いエプロンをしたまま、得意げに言う。
「おなか空いてるんじゃないんですか〜?
 すぐ用意するから、キールは席についていてくださいね」
 パタパタと楽しそうに足音を鳴らし、アイシュは台所へ向かう。
「すっごく美味しそうなんだよ。
 さぁ」
 芽衣が手を伸ばして誘ってくる。
「お前の家じゃないだろうが」
 キールは冷ややかに言った。
「すっごく居心地が良いんだもん。
 この家の子になっちゃおうかなぁ」
 芽衣はクルッと背を向ける。
 栗色の髪が揺れ、変わった形をした青い服の裾が広がる。
 成人しているとは思えない動作で、芽衣は居間のドアを開け、中に入る。
「その前に、課題があるだろうが。
 コントロール不足の魔導士を外に出すほど、院は常識知らずではないぞ」
 キールはためいきをつく。
 日々増大していく少女の魔力は、恐ろしいものがある。
「じゃあさ、コントロールがついたら、OK?」
 芽衣は居間のドアから、顔を少し覗かせて尋ねる。
 子どものような仕草。
 それが『可愛らしく』見えるのは、性別のせいか、身長のせいか。
 あるいは、彼女だからか。
「兄貴に訊けよ」
「どうして?」
「俺はこっちに帰ってこないからな」
 キールは薄く笑いながら、居間に入る。
 すれ違いざまに、甘い香りがした。
 生クリームとバターに、すこし焦げた砂糖の香りだ。
 少女の瞳が追いかけてくる。
「三人で住んだら、楽しいと思うんだけどな。
 アイシュの心配も減って、アタシは楽しくって。
 ほら、得じゃない?」
 芽衣は翼でも隠し持っているかのような軽やかさで、キールの向かい側に立つ。
 手の込んだ刺繍のテーブルクロスが敷かれている食卓の向こう側、少女は椅子に両腕を預けて笑う。
「俺の得がないぞ」
 キールは、右手で椅子を引く。
 ふいに、抱えていた小箱の存在を思い出した。
「ほら。
 プレゼントだ」
「え、もしかして誕生日プレゼント!?」
 ばねのように芽衣は立ち上がる。
 真っ直ぐに手を伸ばして、小箱を受け取る。
「もしかしなくても、誕生日プレゼントだ。
 ありがたく受け取るんだな」
「うんうん、ありがたく受け取っておくわ。
 ありがとう、キール!」
 小箱を抱きかかえ、少女は口を開けて笑う。
 八重歯がチラッと見えた。
 キールは小さく息を吐き出すと、席に着いた。
「優しいね、キールは!」
 感動覚めやらぬといった風情で、芽衣は言う。
 たかが誕生祝に贈り物をしただけで、この言われよう。
 いかに芽衣の感情の振り子の幅が広く、感激屋だとしても、喜ばれすぎだ。
 普段のキールがどれほど冷淡であるのか、証明しているようだった。
「兄貴ほど甘くはないつもりだ」
 青年は頬杖をつき、台所のほうを見やる。
 目の前の少女が「ケーキを食べたい」と言った。
 誕生日の日に、みんなで大きなケーキが食べたい。と言った。
 小さな子どものような願い事をそっくり叶えてやろう、としたのは……。
「お人よし」
 声に出さずにキールを呟いた。
 それだけじゃない。
 双子だから、何となくわかる。
 だから、お互いにその件に関しては、口に出さない。
「え、何?」
 芽衣が尋ねる。
「お前には関係ないことだ」
「ふーん」
 納得していない顔で芽衣は、言う。
「さあ。二人ともお待ちかねですよ〜〜。
 特大のケーキです〜」
 大皿を抱えて、アイシュが入ってきた。
 陶器の皿の上には、真っ白なケーキが載っていた。
 冠のように赤いイチゴが飾られている。
「すごーい。
 アイシュは天才だね!」
「いきなりケーキからかよ、兄貴」
「今日は芽衣の誕生日ですからね〜。
 特別ですよ〜」


 来年もこうして祝うのだろうか。
 キールは、ぼんやりと考えた。
 ためいきにならなかった息をそっと吐き出して、頭を振った。
 来年、少女は本物の家族と祝っているはずだ。
 そうするために、自分は今、努力しているのだ。
 だから、来年の9月21日には、なんでもない日に戻る。
 どこにでもある一日になる。


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