世界に一つだけの花

 先日、笑っている芽衣を見た。
 それは、珍しいことではない。
 表情豊かな彼女だから、笑っていることは少なくない。
 むしろ、ありふれた……。
 けれども、その笑顔が目に焼きついて放れない。
 今もキールを放さない。
 ……状況も良くなかった。
 芽衣の前には青い長髪の青年。
 あまり良くない評判がある宮廷魔導士。



「ありがとう、シオン」
 淡いピンクの花束を抱える少女。
 その花と同じ色に頬を染める。
「嬢ちゃんと同じ名前なんだぜ」
 上機嫌にシオンは言う。
「ふーん、そうなんだあ。
 キレイだね」
 芽衣はにこっと笑う。
「嬢ちゃんみたいにな」
 シオンは気障なことサラッと言った。


 不思議にそういうことをしても厭味がない。
 うらやましい、とは思わないが……。
 キールは足早に二人の脇を立ち去ろうとする。
 面倒ごとには巻き込まれたくはない。


「よっ、キール」
 案の定、シオンに声をかけられた。
 わざととしか思えないタイミングだ。
「こんにちは」
 キールは立ち止まり、頭を下げる。
「あ、キールだぁ」
 無邪気に芽衣は笑う。
「何か、言うことはないのかぁ?」
 からかいが含んだ口調。
 キールは目線を向ける。
「綺麗な花ですね」
 キールは言った。
「シオンの温室で咲いたバラなんだって」
 芽衣は言った。
 シオンの趣味を考えれば、意外性も何もない話だった。

「おいおい、キール。
 褒めるのは、花だけか?
 ここには、花よりも愛らしい嬢ちゃんがいるんだぜ」
 シオンは言う。
 キールは眉をひそめる。

「……。
 失礼してもいいですか?」
「ひっどーい!」
 芽衣は頬を膨らませる。
「褒めてくれたっていいじゃない」
「猫に小判だな。
 花なんか貰って嬉しいか?
 まあ、バラだったら薬にもなるし、儀式のとき使えるけどな」
「また、そんなことばっかり言う。
 花をもらって嬉しくない女の子はいないんだから」
 芽衣は断言する。
「一応、女の子だったんだな」
 キールは薄く笑う。
「一応って何よ!
 人のこと何だと思ってんの!?」
「タヌキ」
 簡潔にキールは答える。
「何それ!
 失礼とか思わない?
 この芽衣様にさぁ」
 芽衣はキールを睨む。
「はいはい、ストーップ!
 痴話喧嘩はそこまでな」
 シオンが二人の間に割って入る。


『痴話喧嘩じゃないもん
         ありません』


 二人は見事にハモッて、シオンを見た。
「んー、お熱いねー。
 若いっていいねぇ」
 シオンはケラケラと笑う。
 芽衣は唇を尖らせ、キールは目を逸らす。
「邪魔者は退散させていただこう」
 シオンは嫌な笑顔を浮かべながら、立ち去った。
「何しにきたんだ、あの人は」
 キールはぼっそと呟く。
 どっと、疲れがでる。
「花、渡しに来たんでしょ」
 芽衣は無邪気に言った。
「それだけか?」
 キールは芽衣を一瞥した。
「それ以外に、何があるの?」
 きょとんと芽衣はキールを見上げた。
 焦茶色のクリッとした瞳は、幼子のように無垢だった。

「聞いた、俺がバカだった」
 キールはすっと目を逸らす。
「それ、どういう意味?」
「さあな、自分の頭で考えろ。
 それが飾りじゃないという前提でだけどな。
 じゃあな」
 キールは立ち去ろうとする。

 ぐいっ。

 緋色の肩掛けが引っ張られ、バランスを崩して転びそうになる。
「待ちなさいよ」
 芽衣は肩掛けを握り締めながら言った。
「……俺は、お前よりも忙しいんだ」
 キールは芽衣の手を振り払った。
「もう!
 キールのバカッ!!」




 気になってあの笑顔が忘れられない。
 花を抱えて笑う。
 その笑顔を引き出したのが自分ではないことが、引っかかる。
 この感情を世間一般では、何と呼ぶか理解しているつもりだ。
 眼鏡の奥のホーリーグリーンの瞳が静かに伏せられる。
 キールは細く息を吐き出す。
 らしくない、と思いながら。



 九月の暦の上には、赤いペンで花丸がしてある箇所がある。
 キールの部屋の、壁にかけられている暦。
 花丸をつけていったのは、彼の被保護者。

『忘れちゃ、ダメだからね!』

 赤ペンを握り締めて、彼女は言った。
 もうすぐ、その日がやってくる。
 心待ちにしているだろうか?
 指折り数えて……。

 キールは頭を振る。

 そんなはずはない。
 彼女が笑顔で約束を押し付けていったのは、まだ春と呼ばれる季節だった。
 その時のキールはそんな日は来ないと思っていた。
 あまりにも未来の話だった。
 それまでには、元の世界に帰してやるつもりだった。
 その自信があった。
 ……全部、過去形だ。
 こうしている間にも時間は無駄に流れていく。
 その日が近づくという事実は変えられない。
 自分の努力が空回りしている証拠に思えてならない。

「……無理、だな」

 キールは広げられたままになっていた巻物を巻く。
 誕生日までに帰してやれない。
 異世界で迎える誕生日。
 嬉しいはずがない。
 家族と離れて、友だちとも会えず。
 いくらこっちの世界で、新しい友だちができたと言っても寂しいはずだ。
 ホーリーグリーンの瞳は、暦を見た。


      ◇◆◇◆◇



 色とりどりの花の前で、亜麻色の髪の青年は困っていた。
 誇示するような緋色の肩掛けと黒いローブは、このバザールでも目立ってしょうがないが、人々の目は割りと好意的だ。
 まだ若い男性がかれこれ半刻ほど花屋の店先でたたずんでいる。
 困っているようだが、どこか楽しげである。
 道行く人々も思わず微笑んでしまう。

 しかし、青年はそれどころではなかった。
 バザールの花屋は素晴らしいほどの品揃えだったのだから。
 北方では珍しい南国の花から、この季節にだけしか目にすることができない希少な花まで。
 たくさん花がありすぎた。
 花を買うと決めて出てきたものの、これでは全く意味がない。
 キールは研究に使う花以外、つまり薬効成分があるとか、儀式の際必要な香料の原料であるとか、そういう花以外の花の名前を知らないのだ。
 キールの知っているような花は地味で、ぱっとしない花ばかりで……女性が好むとは言えそうになく。
 第一、花屋で売っているような花ではないのだ。
 キールはためいきをつく。
 適当に見繕って行けばいいのだろうが、どれも綺麗に咲いていてなかなか選べたものではない。


「どんな花をお探しで?」
 見かねた愛想の良い売り娘が声をかけてきた。
「いや、その……」
「贈り物ですか?」
 売り娘はニコニコと聞く。
「……ああ。
 ……誕生の祝いに……」
 しどろもどろに、キールは答える。
「恋人さんに?
 可愛い娘なんでしょう?」
 売り娘は聞く。
「あいつとはそんな関係じゃない」
 きっぱりキールは言った。
「そうなの?」
 売り娘は苦笑する。

「第一、あんなわがまま女、誰が恋人にするんだ?
 歩く度に物は破壊するは、女としての自覚は欠如してるは。
 全く、何かある度に呼び出されるこっちの身になって欲しいさ」
「それじゃあ、お兄さんは心配してばかりいるんだろうね」
「ああ、おかげで毎日ハラハラしてるさ」
 キールは愚痴る。
「そんな元気なお嬢さんのイメージカラーは?」
「は?」
 突然聞かれて困った。

 ……何色が似合う?
 今までそんなこと考えたこともなかった。

「……青と黄?」
 思わず呟いた言葉。
 それは、彼女が固執する制服の色だ。
 口に出してみて、これほどに合う色がないと思ったのも事実。
 どこまでも突き抜けていく青空。
 そこにザワザワ咲く黄色い花。
 まぶしい日差しを跳ね返す。

「…………夏、みたいな」
 一番似合う。
「それなら、ぴったりの花があるよ。
 まさに夏の花がね」
 売り娘が示したのは、向日葵。
 キールが名前を知っている数少ない花。
 園芸用の小振りなそれは、元気に咲いていた。
 季節外れだと言うのにそれすら構わず黄色い花は、しゃんと胸を張って誇らしげに咲いていた。

「これ、ください」
 キールは納得した。
「アレンジは?
 他の花と組み合わせましょうか?」
「いえ、これだけで」
 キールは断った。
 その方が彼女らしい。
「じゃあ、どのぐらいがいい?
 五、六本でも十分華やかになるよ」
 売り娘はニコニコと聞く。
 キールはしばらく考え、言った。

「両手、いっぱいに」



「これ、どうしたの?」
 焦茶色の瞳が真ん丸になる。
「今日、誕生日だろう?」
 キールは不機嫌そうに言った。
「そうだけど……」
 芽衣は困ったように、片頬をポリポリとかく。
「だから、プレゼントだ。
 忘れるなって、他人の部屋の暦に丸つけていったの誰だ?」
「ワタシだけど」
「いらないのか?」
「いる!」
 芽衣は即答した。
「ほら。
 おめでとう」
 キールはぶっきらぼうに言うと、芽衣に向日葵の花束を手渡す。
「ありがとう」
 戸惑いながら、芽衣は言った。
「花を貰って嬉しくない女の子はいないんだろう?
 それとも食べ物の方が良かったか?」
 キールは皮肉る。

 予想外の芽衣の反応に、キールも困惑しているのだ。
 驚かせたかったわけでも、困らせたかったわけでもないのだ。
 あの時のように、笑って欲しかった。
 シオンに見せた何分の一でもいいから、自分に向かって笑って欲しかった。
 花でもやれば喜ぶと単純に考えすぎたのだろうか。
 キールは自分の選択に後悔し始めた。
 らしくはないことはするもんじゃない。
 いつも、裏目に出る。

「これ、キールが買ってきたんだよね。
 ここに来るまで、キールがずっと持っていたんだよね」
「そうだ?」
「変」
 芽衣は言った。

 ホーリーグリーンの瞳が見開かれる。
 あまりにも芽衣の表情と言葉が食い違っていた。
 突然で、突拍子で、予想外なのが彼女の売りだが……本当に唐突だった。
 キールは一瞬見惚れた。
 焦げ茶の瞳が生み出した、白い珠。

「泣くほど、変か?」
 やっとのことで言葉を絞り出す。
「うん。
 こんなのキールらしくないよ。
 優しすぎ」
 芽衣は花に顔をうずくめる。
 小さな肩が震えていた。
「悪かったな」
 キールは言った。


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