誕生日

 本当に何でもない日。
 特別な日ではない、そんな日。


 何かの話の折だった。
 それは女王試験が始まったばかりのこと。
 質問の多い生徒に、ほんの少しばかり困りながらも、楽しんでいた穏やかな昼下がり。
 あたたかな陽だまりの中、白いレースのカーテンが揺れる。
 きらきらと輝く陽光は少女の髪と同じで、明るく元気だった。
 窓枠の形に切り取られた光は、常緑樹色の絨毯にくっきりとした影を残す。
 唐突な質問に、地の守護聖ルヴァは当惑した。
 ページをめくる手が止まり、かすかに震える。
 どうにも文字が頭の中に入っていかない。

「守護聖は、通常の人間と時の流れが違うのですよー」
 そう説明しながら、胸がちくりと痛んだ。
「不思議なものですよねー。
 どうしてそうなのか、きちんと解明はされてはいないんですがー。
 ですから、そのー、明確に誕生日というものはないんですよー」
 ルヴァは穏やかに言った。

 外界では一年は366日と決まっているのに、聖地ではそうではない。
 女王の望むとおりに時は流れ、守護聖は宇宙が願うように時を重ねていく。
 聖地で一年を過ごしたからと言って、一つ歳を取るわけではない。
 いつの間にか歳を重ね、いつの間にか退位を間近にする。
 誕生祝いをあえてするのは、まだ即位したての守護聖ばかり。
 ある程度、聖地に慣れると、みな貝のように口を閉ざす。
 未来にたいして、漠然と不安を感じるのか、変化が目に見えないほどかすかであることに焦れるのか、それとも投げやりになってしまうのか。
 薄ぼんやりとしていて、その理由はつかめない。
 まだ女王候補でしかない少女にどう説明すれば良いのか。
 知恵と知識の番人であるルヴァにも、わからなかった。
 青年は、落胆したような翡翠の瞳と出会う。

「そうなんですか」
 アンジェリークはぽつりと言った。
 こういう形で、自分と少女の立場も環境も違うと知らされるのは避けたかった。
 もっと先でも良かった、とルヴァは思った。
 時期に知ることだっただろう。
 遅かれ早かれ知ることならば、できるだけ遅く。
 何も知らないままでいてほしいと思うのは、贅沢なことだと自覚していても。
 そう願ってしまう。
「守護聖って大変なんですね」
 金の髪の女王候補は笑った。
 その守護聖よりも、女王の方がもっと大変なんですよ。と、ルヴァは思った。
 少女の背に眠る小さな白い翼がほのかに見える。
 女王になって欲しいような、欲しくないような……。
 複雑な気分になる。
「そうでもありませんよー」
 ルヴァは微笑んだ。
 


「そろそろ、試験も終わりでしょうか?」
 ルヴァは硝子越しに空を仰ぐ。
 真っ赤な太陽がゆるゆると沈んでいくところだった。
「もうすぐ200日ですね」
 数を数えるのは、あまり意味がない。
 世界が終わる日までを、指折り数えているのに近い気分になる。
 一人でも多くの人を助けたい、と思うと同時に、そんなことはできないと否定的なことを考えてしまう。
 色々な手段を探してみるものの、すぐ行き詰ってしまう。
 結局のところ、まだ守ってやらなければいけないような年齢の少女たちに託すしかないのだ。
 地の守護聖……と言ってもできることは限られている。
 こうしてためいきをつくことぐらいだった。
 落ちていく太陽をとどめる術はない。
「落ち込んでいても仕方がありません。
 まだ、大丈夫です」
 ルヴァは自分に言い聞かせる。

 トントン

 控えめなノックの音。
 ルヴァは笑顔を作ると、ドアを開けた。
 女王候補のアンジェリークが、可愛らしくラッピングした袋を持って立っていた。
「どうしたんですかー?」
 ルヴァは穏やかに問う。
「忘れ物でもしましたか?
 それとも、何かわからないことでも……」
「これ、誕生日プレゼントです」
 アンジェリークは袋を突き出した。
 その翡翠色の瞳は、必死だった。
 まるで泣くのをこらえるような、見ているこちらの胸が痛くなるような表情をしていた。
「?」
 少女の切羽詰った空気に、ルヴァは途惑う。

「今日は、7月12日なんです」

 唐突にアンジェリークは言った。
 それで、ルヴァは理解した。
 試験の開始日を1月1日とするならば、今日は7月12日になる。
 7月12日は、自分の誕生日『だった』。
「あー、そのー」
 ルヴァは困惑する。
「誕生日がないのは以前聞きました。
 でも、私。
 お祝いがしたかったんです」
 翡翠の瞳はルヴァを見上げる。
「次は……ないですから」
 高く澄んだ声が悲しげに響く。
「アンジェリーク」
 ルヴァは胸を打たれた。
 女王試験は終盤で、後少しで終わるだろう。
 次のチャンスはないのだ。
 ルヴァにも、アンジェリークにも。
 未来への約束はできない。

「だから、受け取ってください。
 一生懸命に作ったんです」
 少女はクッキーを手渡すと、身を翻す。
 逃げるように立ち去る少女を、ルヴァは追いかけることができなかった。
 追いかけて、どんな言葉をかければ良いのか。
 全くわからなかったからだった。
 ルヴァは一人、執務室に戻り、そのクッキーを食べる。
 感謝の言葉も言えず、謝罪すら言えなかった。
 何のための知識なのだろうか。
 たった一人の少女の好意を素直に受け止めることができなかった。
 自分の無力さに打ちひしがれる。
 形がいびつで、ところどころこげているクッキーは、少女の涙のような味がした。


 時は流れて。


 聖地。
 その名に恥じない穏やかな日々。
 世界の終焉は遠くに去り、生まれたての命が躍動していた。
 何もかもが新しく生まれ変わり、未来はどこまでも続いていく。
 約束された永遠の中。
 地の守護聖ルヴァは、女王のプライベートガーデンに招待された。
 女王の正装を思い起こさせるような薄紅色の花弁を持つ薔薇が、そこかしこに咲き誇っていた。

「お招きありがとうございます」
 ルヴァは微笑んだ。
 薔薇園の主、尊き女王陛下はご機嫌麗しく、にこやかに笑う。
「今日はお祝いがあるのよ、ルヴァ」
 その笑顔は候補生だったときから変わらない。
 見る者の心を晴れやかにする気持ちの良い笑顔だった。
「?」
「私が女王になってからずいぶんたつのよ。
 クッキーも上手に焼けるようになったんだから」
 アンジェリークは、ガーデンテーブルの上を示す。
 薔薇の装飾が美しい銀食器の上には、素朴な形のクッキーがお行儀良く並んでいた。
「あー、そうなんですか?」
 ルヴァはブルーグレーの瞳を細める。
「ええ、だから。
 ルヴァにぜひとも食べてほしくて、今日までいっぱい練習したのよ」
 得意げにアンジェリークは言う。
 その生き生きとした表情に、ルヴァの心も不思議とはずむ。
「食べてみて」
 少女に促されて、ルヴァは席に着いた。
 女王自ら、紅茶を振舞ってくれる。
 宇宙でこれ以上の贅沢はないだろう。

「どうして今日なんですか?」
 ルヴァは質問した。
 目の前の少女が「今日」にこだわる理由が不思議だった。
 今日はいつもの毎日の一コマで、さほど重要な日だとは思えなかったからだ。
 昨日の続きで、明日までつながっている。
 そんな日だった。
「今日は、私にとって7月12日なの。
 誕生日、おめでとうルヴァ!」
 アンジェリークはにっこりと笑った。
 しみいるほどの優しさに、ルヴァは驚き、何とも言えない気分を味わった。
 変わらない。
 本当に、その強さも、優しさも変わらない。
 切なくて、嬉しくなる。
 ルヴァは言えずに後悔した言葉を唇に乗せた。

「ありがとうございます。
 とても、嬉しいですよ」

 ずっと言いたかった言葉だった。
 言えてホッとした。
 安堵から、青年は微笑みを浮かべた。
 金の髪の天使は、それを見てその笑顔をさらに輝かせた。


 本当に何でもない日。
 昨日の先で、明日の後。
 それでも、特別だと言える日。


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