変わらないもの

 緑陰を、深刻な顔つきで地の守護聖は歩いていた。
 いつもの散策とは違い、ずっと地面ばかりを見つめていた。
 己の司るサクリアに、何かを求めるように。
 ブルーグレーの瞳はそればかりを見ていた。


 少女の背に白い翼が見えるのは、彼女の名が『天使』だからではない。
 そんなことぐらい、ルヴァは知っていた。
 女性であれば等しく眠る『愛』が具現化し、一対の純白の翼の形を取る。
 考えてみれば、人はみな背に翼を持っているのかもしれない。
 見えないだけで「ある」のかもしれない。
 と、そこまで考えをめぐらせて、ルヴァは自笑した。
 『特別』な少女をさして『特別』ではない、とごまかしているだけだった。

 少女は女王になった。
 もう見上げるだけの、手の届かない存在に。
 
 そう、考えるのもごまかしだということに気づく。
 二人の立場は変わったが、自分の気持ちに変化はない。

 変わらない、のだ。

 少女のことを想うと、ほっと胸があたたまる。
 とても大切な、優しい気分にさせてくれる少女。
 いくら考えても意味はない。
 答えは出ている。

 アンジェリークが好き

 それだけが価値を持つ。
 それだけは意味がある。
 迷いが吹っ切れて、青年はこの聖地の空のような笑顔を浮かべた。
 世界が一変したようだった。
 小鳥のさえずりは心を高揚させる。
 道端に咲く、名の知れぬ花々は、穏やかな気持ちを思い出させる。
 ルヴァは楽しげに宮殿までの道のりを歩く。


 ピタッ


 ルヴァは立ち止まる。
 その次の瞬間、はじかれたように走り出した。
 ブルーグレーの瞳は瞬きを忘れ、それだけを凝視する。
 濃い緑の下草に横たわる少女。
 女王の正装でも、執務にふさわしいドレスでもなく、候補生だった頃に好んで着ていた真っ白なワンピース。
 生き生きとした緑の瞳は、金の縁取りのあるまぶたに隠されていた。
 存在が薄く。
 まるで……。
 ルヴァは心を落ち着けようとして、大きく息を吐き出す。
 少女の側に膝をつく。
 白くすべらかな頬には、涙の跡が残っていた。

「陛下……」
 ルヴァはつぶやいた。
 こんなときでも、それ以外の呼び方は出てこなかった。
 蜂蜜色のまつげが三度わななき、隠された宝が世界を映す。
 綺麗な翡翠色の瞳がぼんやりとルヴァを見た。
「陛下。
 こんな所で眠ったら、風邪をひかれますよー」
 ルヴァの言葉に、少女は小さく笑う。
 どこか寂しげな、大人びた笑い方だった。
 ブルーグレーの瞳があてもなく宙をさまよう。
「朝からずっとここで考えていたの。
 そのうち眠たくなって……」
 いまだ眠りの中でたゆたうのか、アンジェリークの声はゆっくりとしていた。

「朝からですか?」
「ずっと……。色んなこと……」
「では執務はー」
「サボちゃった。
 天気が良かったから」
「はあ。
 それでは、年がら年中お休みできますねー。
 聖地の天気は、ほとんど晴れですから」
 ルヴァはのんびりと言った。
 アンジェリークはクスクスと年相応の笑顔を見せ、上体を起こす。
「ここで待っていれば、誰かが助けてくれるんじゃないかって、期待していたの」
「茨の道を押し開いてですかー?」
 ルヴァは少女が好きだった絵本の一説を思い出す。
「森を抜けて、王子様はお姫様を長い夢から目覚めさせる」
 翡翠色の瞳がルヴァを見つめる。
「悲しい、夢でしたか?」
 ルヴァは尋ねた。
 白い頬に残る跡が痛々しかった。
「もう、夢から覚めましたわ、王子様」
 アンジェリークは笑った。

 いったい、どんな夢を見ていたのだろうか。
 予想はだいたいついた。
 答えは知りたくないような気がした。

「さあ、私たちの宮殿に参りましょうか?
 愛しの姫」
 物語の中の王子のように、芝居がかったしぐさで、ルヴァは手を差し出した。
 そこに柔らかな白い手が重なる。
 二人は立ち上がる。
 耐えかねるように微かに震える白い手を、ルヴァはギュッと握りかえした。
 わずかでも、少女の支えになれるように、と祈りを込めて。

「弱音を吐いても……良いですか?」
 アンジェリークはうつむいた。
「どうぞ」
「わたし、女王になって初めて知りました。
 ……さびしいんですね。
 こんなにも辛いなんて。
 一人、って」
 声に涙がにじんでいた。

 女王は至高にして、孤高の存在。
 補佐官がいても、その孤独は埋められない。
 宇宙と連鎖しているのは、女王だけだ。
 その喜びも、苦しみも、想像することはできても、わからない。
 守護聖は、女王にかしずく。
 女王は宇宙へ、人へ、等しく慈愛を注ぐ。
 そのため、人々は等しく距離を保つ。
 心の距離は、遠い。

「わたしは……特別に、なりたかったわけじゃないんです」

 つないだままの手にポツリと、雫が落ちた。
 雨ではない。
 聖地では決まった時間にしか、雨が降らない。
 天気は決定で、変更はない。
 あたたかな、涙。

 少女は変わっていない。
 変わったのは、立場だけ。
 ルヴァは意を決した。
 落ち着かない心臓をなだめるために、大きく深呼吸をする。
 たった一言に、万感の想いをのせる。

「アンジェリーク」

 久しぶりに口にした名前だった。
「はい」
 アンジェリークは返事をした。
「あなたは……あなたです。
 変わっていません、何一つ」
 ルヴァは言い切った。

 初めてめぐりあったときの印象を裏切らない。
 好きになったときから、変わらない。

「ルヴァ」
 泣き濡れた翡翠の瞳が見上げる。
「あー、寂しくなったら。そのー、いつでも呼んでください。
 すぐに、どこにいても、駆けつけますからー。
 言われる前に気づければ、かっこ良いんですけどねー。
 私には、そのー。かなり、難しく。
 でも、呼んでくださったなら、絶対駆けつけますから」
 ルヴァは一生懸命に言った。
「約束よ」
 少女は空いているほうの手で涙をぬぐうと、微笑んだ。
「はい、約束です」
 ルヴァはうなずいた。


 二人は宮殿に戻った。
 つないだ手は、そのままに。


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