トントン
夜遅くためらいがちなノック。
エルンストが答えないと、
「入ってもいい？」
暁色の瞳の少女が不安げに顔を覗かせた。
この宇宙の女王補佐官のレイチェルは、昼間の威厳はどこにやったのか、頼りなさげにたたずんでいた。
「どうぞ」
エルンストの言葉でようやく室内に入る。
「こんな夜遅くまで仕事しているの？」
レイチェルは、机の上の書類に目を留めた。
「ええ、この仕事が気に入ってますから」
「ふーん」
レイチェルは、ちょことんと空いている椅子に座った。
心ここにあらずという風情の少女にエルンストはコーヒーを出す。
「本当は、ホットミルクの方が良いのでしょうが」
「子ども扱いしないでよ」
暁色の瞳はこの部屋に入って初めてエルンストを見た。
「私から見れば十分、子どもですよ」
「お・じ・さ・ん」
嫌味ったらしくレイチェルは言う。
「そうですね。
せっかくです
少し付き合ってくださいませんか？」
エルンストは微笑んだ。
バルコニーから見る空は、ホログラフィーの中のそれとは別物だった。
「星好き？」
レイチェルは空を見上げたまま尋ねる。
「嫌いだったら、研究者にはなりませんよ」
「たまに飽きたりしない？」
「観察は常に発見がありますよ」
「ふーん」
面白くなさそうに少女は言った。
「あなたは変わりましたね。
分別がついたと言うべきですか」
「そう？」
「はい。
以前のあなたは後先考えずに行動していましたよ。
何か悩み事ですか？」
エルンストは、冷めはじめたコーヒーを一口飲む。
「かなわないな、エルンストには」
レイチェルは中身の入っているマグカップをもてあそぶ。
「それなりの付き合いですから」
「そんなにたいそうなものじゃないんだよ。
ちょっと、片恋のつらさを味わってるだけ。
一方通行って、せつないね」
少女は、バルコニーの石造りの手すりにマグカップをポンと乗せる。
そして、自分自身も乗った。
エルンストは、少女に危険だと注意する気にはなれなかった。
彼女には翼があるのだ。
「そうですか」
「うん」
「上手く行くように祈ってますよ」
エルンストは苦笑した。
「誰に祈るの？」
「さしずめ、宇宙の女王でしょうか？」
「だったら、きっと叶わないね。
あの子、鈍感だもん」
言葉とは裏腹にレイチェルは幸せそうに笑う。
「そこが良いんでしょう？」
妬けるぐらいの仲の良さだ。
生まれて初めてできた友人で、親友だ。
熱烈に愛しているのだろう。
それが見てとれた。
「そうなんだよ、困っちゃう。
ワタシが思うほど、思ってくれないんだ」
レイチェルは片膝を抱えて、つぶやく。
「恋人よりも、友人の方が大切ですよ」
「自論？」
「経験論です」
「だとしたら、恋人に冷たいね」
年頃の女の子らしくレイチェルは声をとがらせた。
「恋人は宇宙ですから、気長ですよ」
「ごちそうさま」
レイチェルは手すりから滑り降りると、空になったマグカップを押しつける。
「どういたしまして。
また、何かあったら来てください。
聞くぐらいしかできませんけど」
「ありがと」
振り向きもせずに少女は、部屋を出て行った。