小春日和にて


 光は柔らかく、色を深めた。
 射るような白に、この季節の色がにじみ、とても暖かだった。
 中天から傾いた陽が本当に穏やかだった。
 どこまでも澄んだ青い空に流れる雲を目で追う。
 そんなどこにでもあるような晩秋の昼下がり。
 思い返すのにちょうど良い記憶。


 陸遜はいつもの木陰で竹簡を広げていた。
 と言っても、少年の目は雲を追っていた。
 果てぬ空を見ていたのか、その空を通して違う何かを見ていたのか。
 本人に問うても、拒絶という名の微笑を返されるだけだろう。
 だから、誰も問わない……たった一人の例外を除いては。

「陸遜、何を考えてたの?」
「姫」
 はしばみ色の双眸は、雲から少女に移る。
「何を考えていたの?」
 陸遜の隣に尚香は腰を下ろし、もう一度問う。
「別に、何も。
 そうですね……強いてあげれば、雲を見ていただけです。
 それよりも、何故『考えていた』と訊いたのですか?」
「そう見えたからよ。
 それに、私が来たんですもの。
 どんな考え事であっても、中断するでしょう?」
 だから、過去形なのよ。と尚香は言った。

 自信にあふれた物言いに、陸遜は笑みを深くする。
 彼女には敵わない。
 不思議と居心地が良いから、気分は悪くならない。

「何のご用でしょうか?」
 陸遜は尋ねた。
「え?」
「探してくれたのでしょう。
 髪が乱れています」
 陸遜の言葉に、尚香は慌てて髪に手をやる。
 かすかな乱れは、それだけで元に戻る。
 白い額に浮かんだ汗は隠しようがなかったものの。
「走ると、また怒られますよ」
「走ったほうが陸遜に早く会えるでしょ。
 怒られるのは慣れてるわ」
 尚香は嬉しがらせを言う。

 公平に優しい人だから、誰にでも走って会いに行く。
 自分以外の誰かのところでも。
 知っていたけれど、『今、自分のために』走ってきてくれたことには変わりがない。
 だから、少年は嬉しくなった。

「はい、焼き栗」
 持ってきた包みを尚香は開く。
「美味しそうだから、独り占めするのがもったいなくて」
「まだ、食べていないのですか?」
「美味しいものは一人で食べるよりも、誰かと食べたほうがもっと美味しく感じられるでしょ。
 これ美味しいわね、って言ったら、そうですね、って返ってくるほうが、私は好きだわ」
 少女は言った。
「その誰かに、私が選ばれたのですね。
 光栄です」
 陸遜は微笑んだ。
「そういうこと。
 さ、食べましょ」
 言うが早いか、尚香は焼き栗をむきはじめる。
 武芸のため短く切りそろえられた爪は、紅も置かれていない。
 短い髪も、少年のような身なりも、彼女に合っていると思うのだけれど……。

「むきましょうか?」
 陸遜は提案した。
「そんなに不器用そうに見える?」
「私の方が早くむけそうです」
「……はい」
 不満そうに尚香は、陸遜にむきかけの栗を渡す。
 栗をむくと、渋皮で爪が汚れていく。
 当たり前のことなのだが、少女の爪が汚れるのは嫌だった。
 武器を持って、一軍を率いる手の爪であっても、汚れるのは忍びないと思う。
 それを口にしたら、どうなるか火を見るよりも明らかだった。
 だから、陸遜は言わない。

「どうぞ」
 まめだらけで硬い手のひらに、むいた栗を置く。
 緑の瞳がしげしげと陸遜の顔を見る。
「これじゃあ、栗をむかせるために陸遜のところに来たみたいね。
 自分でむくのが面倒だからって」
「気にするようなことでは」
「我がまま姫みたいだわ」
 尚香は唇を尖らせる。
「姫は、我がまま姫じゃありませんか」
 そう言って陸遜は笑みを零す。
「どういう意味よ!」
「男顔負けの武芸を覚えたのも、戦場に出るのも。
 十分、我がままですよ」
「そうじゃなくて。
 私が言いたいのは」
「たまには良いと思いますよ。
 身分の高い女性らしく、男をあご足で使っても」
「そういうことが嫌なのよ」
 渋い顔をしながら、尚香は栗を口に入れる。
 途端に、笑顔になる。
「美味しい」
 紛うことなき幸せを浮かべる。
 つられたように陸遜は目を細める。
「そうですね」
「まだ食べていないじゃない」
「姫がとても美味しそうだから、私もそんな気分になりました」
「……食べてみて。
 本当に美味しいんだから」
 尚香は栗を一つ取り、爪を入れる。
 それを陸遜は取り上げた。
「自分でできますよ。
 姫にむいてもらった、て誰かに知られたら面倒ですから」
「?」
「姫は人気者ですからね。
 お前だけずるいと文句を言われてしまいます」
 むき終わった栗を口に入れる。
 まだあたたかいそれは、ほくっとしていた。
「美味しいです」
 自然とこぼれた言葉に
「そうでしょう!」
 上機嫌に少女は言った。

 確かに、誰かと一緒の方が何倍も美味しく思える。
 笑顔と美味しいもの、それに共有する喜び。
 やみつきになりそうだ、と陸遜は心の中で呟いた。

「それで陸遜。
 私が来るまで何を考えていたの?」
 尚香は訊いた。
「覚えてましたか……」
「はぐらかそうとしたって無駄よ」
 緑の瞳はまるで矢のように、少年の心を射る。
 縫いとめられて、動けなくなる。
 嘘偽りなど許さない、その瞳にとらわれる。
「たいしたことじゃないんですよ。
 どちらかと言えば、その……。
 仕事のこととか、戦のこととかではなくて……」
 陸遜は言葉を濁す。
「教えてくれたっていいじゃない」
「どうして、そんなに知りたがるんですか?」
「だって、陸遜が幸せそうだったのよ。
 すっごく幸せそうに空を見ていたから、その理由を知りたくなったの」
「普段の私は、そんなに不幸せそうな顔をしているんですか?」
「あんな顔をしている陸遜を見たのは、初めてだったわ」
「本当に、たいしたことじゃないんですよ。
 呆れたりしないでくださいね」
 陸遜は念押しする。
「ええ、もちろんよ」
「誰にも話さないでくださいね」
「二人だけの秘密ね」
 尚香は微笑んだ。
「一度しか言いませんから、聞き落とさないでくださいね」
「わかったわ」



 黄金色の日差しが降る小春日和。
 院子のお気に入りの木陰。
 孫呉の誇る弓腰姫と未来の英知は、すぐ傍に座っているのに目もあわさず、黙り込む。
 その頬は赤く染まっていた。



 「あなたのことを考えていました」


「陸尚祭」投稿作品 お題2 小春日和にて
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