露命


 ここは紛れもない戦場。
 紙の表と裏みたいに、一瞬で死へと旅立つ場所。
 多くの人の死を知っても、感じても。
 生きる意味を探して、何度もここに立っても。
 忘れてしまう。



 戦うのは嫌いじゃない。
 大好きな人を守るためと思えば、人を殺すのも怖くない。
 生ぬるい血を浴びるのは、慣れないけれど。
 大丈夫。
 

 飛来する矢。
 尚香は、乾坤圏を構えた。
 もう遅い、とはわかっていた。
 よけきれない。
 尚香の心臓を射抜くだろう。

 弓矢は、怖い。
 父の死を思い出させるから。

 恐怖が少女に瞳を閉じさせた。


「姫!」
 
 良く通る声がして、少女の体を抱きかかえた。
 ドサッと、地面に転がる。
 とっさのことで、受身が取れなかった。
 したたかに背中を打ち、咳き込む。
 尚香は目を開けた。
 上質の衣の緋色。
「ご無事ですか?」
 はしばみ色の瞳が少女を見つめた。
「り、陸遜」
「ここは危険です」
 少年は双剣を鞘に納めて、少女の手を取った。
「拠点まで、戻りますよ」
 陸遜は人好きのする笑顔で言った。
「ケガしたでしょ!?
 見せなさい!!」
「気のせいですよ。
 それにこんな敵兵の多いところで、そんな悠長なことはしていられません」
「やっぱり、ケガしたのね!」
「走りますよ」
 陸遜は尚香の手を引くと、強引に走り出した。




 自軍拠点。
「ここまでくれば、大丈夫ですね」
 玉のような汗を額に浮かべ、陸遜は言った。
 全力疾走したからではない。
 ケガのせいだった。
 その証拠に、尚香は息が切れていない。
「ケガはどこ!?」
 尚香は陸遜の胸倉を掴むと、揺する。
「もし仮に、私が怪我しているんでしたら、酷い扱いですね」
 陸遜は温和な笑みを浮かべたまま言った。
「仮じゃなくて、ケガしてるんでしょ?」
「多少の擦り傷は、戦場ですからね」
 陸遜は尚香の手を解こうとする。
「いいから、服を脱ぎなさい!
 じゃなきゃ、この場でひんむくわよ」
「うら若き女性の前で……。
 脱げませんよ。
 ほら、色々と誤解されてしまいますよ。
 姫は未婚なのですから。
 対外的にも」
「御託は良いわよ!」
 尚香は無理やり、陸遜の服を引き剥がそうとするものの、容易ではなかった。
 腐っても鯛。
 どんなに相手が女顔で、身長が大差ないとしても、男と女。
 体力差・筋力差は拭えない。
 揉みあっているうちに、尚香は均衡を崩した。
 グラッと陸遜の胸の中に落ち、左手にヌルッとした感触を覚えた。
 尚香は己の左手を見た。
 ぬらぬらとした鮮血がべったりと手を汚していた。
 緑の瞳は、少年を見つめる。

「あ。
 バレてしまいましたね」
 ぬけぬけと陸遜は言った。
「やっぱり、ケガしてるじゃない!」
「姫の看護は色々と評判があって、勘弁願おうかと思っていたんですが。
 バレてしまったら、仕方ありませんね」
 陸遜は微笑んだ。
「早く!
 手当てを受けてきなさいよ!
 この馬鹿っ!!」
 尚香は声の限り怒鳴った。
 頭の中はしっちゃかめっちゃかで、尚香は涙を零した。
 ポロポロと涙が頬を伝う。
 たぶん、世界で一番ぶさいくな顔をしている。
 それでも、うつむいて泣くのは自分らしくないから、尚香は陸遜を見つめたまま泣いた。

「大っ嫌い!」

 命の恩人にかける言葉じゃないのはわかっている。
 でも、陸遜の優しさは、ちっとも優しくなかった。
 他人行儀で、遠まわしで、心に入り込めない。
「困りましたね。
 泣かないでください」
 陸遜の手が尚香の頬をなでる。
 剣を握るからその手は骨ばっていて、ごつごつしていた。
「勝手に困ってなさいよ!」
 尚香は陸遜の手を払いのけた。
「どうすれば許してもらえますか?」
「死んだら、地獄まで追いかけて文句を言ってあげるわ」
 尚香は鼻水をすすりながら言った。
 本当に色っぽくないやり取りだ。
 これが助けられた姫と英雄の会話なんだろうか。
 笑い話にしかならない。
「地獄行き決定ですか?」
「いいから、早く治療してもらいなさい!!」
 尚香は叫んだ。
「はい。
 私が治療を受けている間に、前線に突っ込んでいかないでくださいね。
 殿から頼まれてるんです。
 姫がケガをしたら、解雇されちゃうんです」
 陸遜は微笑を浮かべたまま言う。
「もうちょっと、気の利いたこと言えないの?」
「こんなに人目の多いところでは言えませんよ」
 冗談めかして少年は言うと、医師のいる天幕の方に歩いて行った。
 思ったよりもしっかりとした足取りに、尚香はホッとした。
 少女は、へなへなとその場で座り込んだ。
 そして大声で泣き始めた。



 今、生きている。
 それがすごく嬉しい。
 でも、誰かが代わりにケガをしたら、とても悲しい。
 戦場に立ち続ける意味を考える。
 誰かの死に無関心でいられないなら、来るべきではない。
 守られるために、ここにいるわけではない。
 自分の「死」よりも、誰かの「死」が怖いと思った。
 初めて、それを知った日だった。


真・三國無双TOPへ戻る