終焉


 終わってから気がつくこともある。


「何しているの?」
 明朗快活な声が陸遜を振り返らせる。
 ハシバミ色の穏やかな瞳の少年は、孫呉が誇る弓腰姫を見つめた。
「いえ、花を眺めていただけです」
 陸遜は柔らかく微笑んだ。
「もう、散っているけど?」
 綺麗な緑の色の瞳は驚いたように、木を見上げた。
 そこには花は一つもついていない。
 今は、眩しいばかりの緑葉が精一杯に枝を飾っていた。
「ええ、そうですね。
 気がついたら、花の時期は終わっていました」
 陸遜はのんびりと言った。
「でも、あなたは花を見てるって答えたわよ」
「ですから、想像の花を見ていました。
 去年も、一昨年も、花は見ていましたから、再現は難しくありませんよ」
「それって、見ていることになるのかしら?
 だって、今年の花ではないのよ。
 ああ、ややこしいわね。
 ぼうっとしているなら、ぼうっとしていたと答えれば良いじゃない」
 孫尚香は唇をとがらせた。
「それでは格好がつかないと思いませんか?」
 陸遜は微笑んだまま言った。
「結局、ぼうっとしていたのね!」
 姫君の決めつけに、陸遜は是とも否と答えなかった。
 ただ、微笑みを浮かべていた。




 それから、月日は流れた。




 その笑顔を失う直前になって、少年は気がついた。
「ちょっと、迂闊でした」
 陸遜はこぼした。
「ん?」
 大きな独り言を聞いてしまった呂蒙は、傍にいた少年を見遣る。
 そこにはいつも通り、機嫌良く微笑む、見知った少年がいた。
「うっかりしすぎていました」
 その声には後悔の欠片も見当たらなかった。
 言葉は悔いているように聞こえるのだが、陸遜からはちっともその気配が感じられなかった。
「初恋って、叶わないものなんですね」
 陸遜はにこやかに言った。
 それで、呂蒙は理解した。
 少年の強がりを、その微笑みの意味を。
 笑っていないと、耐えられないのだ。
 臣は、主に従う。
 その決定に意見を述べることを許されても、逆らってはならない。
 ましてや、それが国にとって良策であれば、異論を唱えてはいけない。
 内心どうであれ、賛同しなければならない。
 少年は陸家の総領である。
 この孫呉を支える豪族の長の一人だ。
 立場をよくわきまえていた。
「そうだな。
 そう言うこともあるさ」
 呂蒙はうなずいた。
 思っていても、音にされない言葉たち。
「泣いてもいいんだぞ」
 呂蒙は言った。
「そんな子どもでは、ありません」
 陸遜は笑顔で応じた。
 はしばみ色の瞳が笑っていなかったことを、呂蒙は見て見ぬ振りをした。




 さらに、月日は流れた。




 二度と会うことのないと思っていた女性は、酷く傷ついた表情で陸遜の前に戻ってきた。
 かつてのように、彼女は笑わなくなった。
 彼女は心を蜀に置いてきてしまった。
 抜け殻のようになった孫尚香は、考え込むように空を見上げていることが増えた。
 もう、元には戻れない。
 ……初恋が終わる。
 陸遜は、それを確かに感じたのだ。
 月日は少年を成長させ、その立場まで変えた。
 誰かの後を追いかけていれば良かった日々は終わり、一国を導いていかなければならない立場に変わった。
 彼女が失ったものがあるように、彼にも失ったものがあった。
 そのもののために、陸遜は立ち止まるわけにはいかない。
 平和を。
 それを望んで、受け継がれてきた遺志。
 陸遜で断つわけにはいかないのだ。
「姫。
 お気持ちはお察しします」
 陸遜は重い口を開いた。
 綺麗な緑の瞳が陸遜を見つめた。
「蜀は我が国の敵です。
 完膚なきまでに、叩きます」
 陸遜は言った。
 彼はこの国の大都督なのだ。
 私情は挟めなかった。
「最期を見届けるわよ」
 勝気な弓腰姫は言い切った。
 誰の、とは言わなかったが、その瞳に迷いはなかった。
「はい」
 陸遜は返事をした。




 来年、この花が咲くところを見よう、と陸遜は思った。
 その頃には、全てが片付いているはずだ。


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