けして、自分にはないものを持っている妹が羨ましかった。
 無邪気に笑う小さな妹を守らなければいけない。
 と思うと同時に、何でも持っている妹が憎くなる。
 曹叡が最も欲しいと思っているものを持つ東郷。
 青空を見上げた後は、青く。
 緑の木々を見た後は、緑に。
 光の加減で変わる瞳。
 曹叡はどんなに望んでも、それを手に入れることができない。
 どうしても欲しいものなのに、それを得ることはできないのだ。


 一体何が原因だったのか。
 周囲も、本人たちですら、わからない。
 本当にささやかなことだった。
 大方、我の強い東郷がわがままを言って、曹叡を困らせたのだろう。
 良くあることだった。
 聞き分けも良く兄である曹叡が、たいていは折れる。
 が、しかし。
 この日、曹叡は自分の意見を通した。
 それは兄妹ゲンカまで発展した。
 ここまでは、まだ「良くある」ということで済ますことができた。
 つまり、話はそこで終わらなかったのである。


「ひどい!
 お兄様」
 口達者な東郷公主は、じだを踏んで言う。
「これだけは譲れない」
 負けじと曹叡も言う。
「お兄様の馬鹿っ!!
 ……。
 偉ぶっちゃって、馬鹿みたい。
 お兄様は、曹魏の跡継ぎにじゃないくせに」
「何だと?」
 曹叡は気色ばむ。
「だって、そうでしょ。
 私だって知ってるわ。
 お兄様が立太子されないのは、お父様の子じゃないからでしょ!?
 曹一族の血をまったく引いていないから」
 
 パチン

 乾いた音が堂内に広がった。
 さほど大きな音ではなかったのだが、やけに響いた。
 叩かれたほうも驚いたが、叩いたほうがもっと驚いた。
 妹の頬を叩いた己の手をマジマジと曹叡は見つめた。
 東郷はすべらかな頬に手を当てる。
 叩かれたことが実感できないのだろう。
 不思議な色の瞳は兄を見上げる。
「お兄様……」
 東郷はぽつりと呟いた。
 その声に弾かれたように、曹叡は堂から飛び出した。



 曹叡は東屋の石柱に手をつく。
 誰もいない庭院まで、わき目も振らずに走ってきた。
 途中、制止の声を聞いたが、全部無視してしまった。
 ずいぶんな醜聞だ。
 父の耳に入ったら……。
 曹叡は大きく息を吐き出した。
 きっと、父は眉をひそめるだろう。
 微塵も興味を覚えないと言わんばかりの冷ややかな視線を投げかけられる。
 いや、曹叡を見ない。
 何も言わずに立ち去るのだ。
 忙しい父は、つまらない存在にかまっている無駄な時間はないのだ。
 少年は、そこまで考えてギュッと拳を握る。


「そこにいるのは叡か。
 東郷と言い争ったようだな」
 良く通る声が言った。
 曹叡はギクリッとした。
 それでも、声をかけられるのは千載の機会。
 父の姿を見るのは、純粋な喜び。
 次は、ないかもしれない。
 少年は振り返った。
「珍しいこともあるものだな」
 曹丕は言った。
 弁解するのは潔くはない。
 何を言っても言い訳がましくなるだろう。
 少年は黙って、父の言葉を聴く。
「原因は何だ?」
 焦がれてやまない色の瞳が曹叡を見る。
 陽の下で見ても、その色は美しかった。
 春の空のような柔らかな青にも見える。
 煌く夏の木々のような澄んだ緑にも見える。
 凪いだ冬の海のような静かな灰色にも見える。
 不思議な魅力の色の瞳。
 父の子だという確かな証が欲しかった。
 妹のように、父と同じ色の双眸が欲しかった。

「どうして私の目の色は、父上と同じ色ではないのでしょうか?」
 曹叡は言った。
 機嫌を損ねるのは、わかっていた。
 それでも、訊かずにはいられなかったのだ。
「甄と同じ色では不服か?」
 曹丕は我が子の頭を撫でる。
「綺麗な色だとは思うのだが。
 子どもというのは不思議な生き物だな。
 そんなことを気にするとは」
 自身も子ども時代があったはずだというのに、魏の皇帝は言った。
「……私は」
 いつもよりも優しげな父の様子に背中を押されて、曹叡は尋ねる。
「私は父上の子ですよね」
 今まで誰にも訊けなかったことを。
 噂を肯定されたら、生きていく理由を失ってしまうから、誰にも訊かなかったことだ。
 宮廷では様々な噂が飛ぶ。
 曹叡にかかわるものも少なくない。
 その中で、最大にして、最悪な噂。
 それは「曹叡が曹丕の子どもではない」ということだった。

「ふっ。
 愚かなことだ。
 確認するまでもない、お前は私の子だ」
 一切の迷いがない声で、曹丕は断言する。
「はい!」
 曹叡は返事をした。
 幼子のように泣きたくなる。
 喜びが湧き上がり、指先まで満たす。
 父の子らしく、より一層努力をしよう、と曹叡は心に誓う。
 誇らしさで胸が熱くなった。


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